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劇場で観た映画の覚え書き


by am-bivalence
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SCREEN125 エル・スール

スペイン内戦を知らないと理解できない、
    観る者の想像を刺激する未完映画


 日本映画の名匠小津安二郎監督は映画について、
“言いたいことは隠せ”と言っていたそうです。
“観客に解らなくてもいい、隠せ”とまで言っていたとか。
ビクトル・エリセ監督のスペイン映画「ミツバチのささやき」はまさにそんな映画でした。
フランコ政権下で製作された「ミツバチのささやき」は、
体制批判やスペイン内戦が隠喩として含まれていました。
 「ミツバチのささやき」の10年後、1983年に製作された「エル・スール」も
結果的に主題を隠す形になってしまった映画のようです。
当初製作されるはずだった後半部分が予算不足で撮影できず、
劇中描かれている父親をめぐる幾つかの謎が残されたままになっているからです。
でもそれが観客の想像を掻き立て、観た者に大きな余韻を残す映画になりました。

 舞台は1957年のスペイン北部、娘エストレリャが枕元に愛用の"振り子"を残して去って行った父の思い出を回想する形で映画は進みます。
医師である父は"振り子"を使って水脈を探り当てたり、
生まれてくる子供を娘だと言い当てたりする、不思議な才能も持っています。
 敬愛する父が祖父と"ケンカ"し二度と故郷の南に戻らないことを聞き、
エストレリャは南に興味を持ち始めます。
エストレリャの初聖体拝受の日、南から祖母と乳母が立ち会うためにやってきますが、
父は裏山で猟銃を撃っていて手伝おうともしません。
式にも隣席せず、教会の物陰で見守るだけの父。
ある日エストレリャは父がイレーネ・リオスという女性を密かに思い、
彼女と関わりがあることを知ります。。。

この映画は苦悩する父を見つめる少女の成長物語と解説されることがありますが、
それにはちょっと違和感を感じます。
この映画では少女は身体的に成長していても、精神的にはまだ成長できていないからです。
それは製作されるはずだった後半部分、少女が南部で父の過去を知ることで
成されるはずだったのかもしれません。
監督がこの映画を不完全と呼んでいるのはそんなところにもあるのではないでしょうか。

 この映画の真の主役は娘の視点を通して間接的に描かれた父とその過去です。
映画の舞台はスペイン北部なのに、タイトルが父の過去がある南部を指す
「エル・スール」であるのがそれを象徴しています。
その父の苦悩、無念、憤り、孤独は、スペイン内戦を知らないと正しく理解できないと思います。
 以前「パンズ・ラビリンス」でも触れましたが、
スペイン内戦は自由主義、社会主義政権だった第二共和制政府が
フランコのファシズム反乱軍に敗れた戦争でした。
第二次大戦後もスペインは唯一ファシスト独裁政権が続き、
共和制の残党は弾圧されていたのです。
父親はその共和制側で、内戦後故郷の南部から北部へ逃れてきたようです。
劇中乳母ミラグロス(同名の乳母は「ミツバチのささやき」にも登場します)
が語ったように、父は共和制側、祖父は反乱軍側であり、
肉親と言えど対立、罵り合ったのは、スペイン内戦の一つの典型でした。
 娘の聖体拝受式に父親が参加しようとせず、
裏山でうっぷんを晴らすように猟銃を乱射していたのも、
保守的教会勢力は反乱軍を支持したため共和制の敵だったからでしょう。
(サグラダ・ファミリアが内戦時に破壊の対象となり、
建設続行不能と言われるほど痛手を受けたのもこのためでした。
戦争ではどちら側にも正義はないのです。)

 映画はエストレリャが南へ旅立つ所で終わりますが、
この映画には原作小説があって、原作では南での出来事も描かれています。
彼女は南で父が連絡していた女性を探し、異母兄弟に会うことになるのです。
ただ、南でも父の過去について新たに判明することはあまりありません。
原作は映画と異なる点も多いのですが、映画の後半が作られたとしても、
原作と同様、父に昔何があったのかは結局隠されたままで、
観客の想像に委ねられたのかもしれません。
                           (☆☆☆☆)
by am-bivalence | 2012-03-10 13:51 | 人間ドラマ | Comments(0)