劇場で観た映画の覚え書き


by am-bivalence
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screen61 潜水服は蝶の夢を見る

一人称の主観映像が主人公の孤独を追体験させる 公式サイト

 映画にしろドキュメンタリーにしろ、
「闘病もの」ってあまり好きじゃないんです。
 あからさまに、お涙頂戴パターンが多いですし、
障害や難病に苦しむ人に対して、同情というエセ共感をするのは、
そういう境遇でない自分に安堵する裏返しのようで、
無礼で傲慢のように感じてしまうのです。
 うがち過ぎでしょうか。

 ただこの作品に興味を持ったのは、映画として評判が高かったこと、
北村浩子さんのポッドキャスト番組「books A to Z」
原作の紹介を聞いてでした。
原作が粋でユーモアのセンスに富んだものだったからです。

 原作者ジャン・ドミニク・ボビーはファッション誌の編集長だっただけあって、
ダンディで、女性関係も華やかな人だったようです。
 原作のエッセーは、絶望、苦悩、悲しみといったことを
ほとんど直接表現することはせず、ユーモアとウィットで包んで
変わり果てた自分を笑い飛ばそうとさえします。

 例えばある日、ジャンはガラスに映った自分の姿に気付きます。
麻痺して醜くゆがんでしまった自分の顔を見て、
愕然とした彼の反応はこうです。
”僕の中に引きつるような大笑いがこみ上げてきた。
災難に次ぐ災難の、最後の一撃をくらって、
もう何もかもが冗談だと考えるしかなかった。”
そして、彼はこう結びます。
”笑いに笑った。涙があふれ出すまで。”

 また、彼がまばたきによるコミュニケーション法で、
文章を綴る動機となったのは、友人達が自分を
”植物人間”と言っていると知ったからでした。
”僕という存在はもう、人間社会よりも青物市場のほうに
属しているのだ”と思ったとき彼は、
”自分の知能はまだゴボウより高いのだと証明”するために、
以前の知人達に宛てて手紙を出すのです。

 前回に引き続き、映画の感想なのか、
原作の紹介なのか分からなくなってきましたが、
映画はジャンが病院で目覚めるところから始まります。
カメラがジャンの目線になっていて、
最初ピントがなかなか合わず、視野も限られています。
そんな”一人称映像”が映画冒頭から15分間続くのです。
観客は否が応でも彼の置かれた状況を体験していきます。
独白で語られる主人公の気持ちが、周囲とちぐはぐなところが
彼の陥った状況を良く表していて、彼の孤独を浮き出せています。

 可笑しいのが、そんな状況の中でも彼が、
二人の美人療法士と面会すると、彼女の胸ばかり見ていること。
さすが、プレイボーイのフランス人です。
 ただこの”一人称映像”、どこか既視感があると思っていたら、
後で思い出しました。「ロボコップ」です。
マーフィがロボコップとして蘇生するシーンも
同じような一人称視点でした。

 原作よりも映画は、自分の肉体に閉じ込められてしまった者の
悲哀と孤独に、より焦点をあてています。
 また、この映画にはジャン以外にも閉じ込められてしまった人間が
二人登場します。
足が悪くてアパートから出られなくなったジャンの父親と、
ベイルートで拘束され何年も投獄されたという友人です。
監督はジャンの陥ったような悲劇を、病気とだけに限定していないようです。

 ジャンは自分を喩えるのに「目」か「潜水服」かと考えて、
「潜水服」としました。
潜水服なら、いつの日か脱いで、
自由を取り戻せるかもしれないという思いがあったのでしょうか。
                          (☆☆☆)
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by am-bivalence | 2008-04-17 00:38 | 人間ドラマ | Comments(0)