劇場で観た映画の覚え書き


by am-bivalence
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screen89 おくりびと

 抑え目の演出が好感持てる良品  公式サイト

 今は自動車道ができて無くなってしまいましたが、
昔、母の実家には、裏の畑に先祖代々の墓地があって、
盆の法事などは、裏の畑まで親族一同が歩いていって焼香していました。
居間には仏壇がって、鴨居には亡くなった祖父、祖母の遺影が飾ってありました。
昔の日本には「死」は日常生活と裏腹にあって、溶け込んでいたように思います。

 でも現代の都市はどうでしょうか。
近所に葬斎場の計画が持ち上がると、周辺住民が猛反対したりします。
今の街は 快楽原則で出来ていて、
「死」のように不安・不快を感じさせるものは、慎重に拭い去られ、
極力排除しているように思うのです。

 「おくりびと」では納棺師という職業に就いた主人公が
その職業が原因で蔑まれたり、妻に出て行かれる描写があります。
 "人の不幸を商売にしている"、と思われるからかもしれませんが、
職業への偏見が生まれる一因には、現代の日常が快適優先で出来ていて、
「死」は忌むべきものであり、無意識に避けていることにもあるような気がしてなりません。
「メメント・モリ」って言葉が古代からあるように、誰でもいつかは死んじゃうんですけど。

 納棺師という職業があるとは知りませんでしたが、
映画パンフレットによると、どんな葬儀にでも存在するわけではなく、
地域、宗派によって遺体の扱いはいろいろなようです。
葬儀社によっては納棺の儀式がないような場合もあるとか。

 この映画を観ると 納棺師とは、
死者へ敬意を払い、遺体を辱めずに尊厳を守って、
厳かに親しい人との別れを演出する職業のように思えてきます。
まさに「安らかな旅立ちのお手伝い」。
 実際は主人公の最初の仕事のように、いろいろな遺体を扱うのでしょうから、
かなり泥臭い、大変な仕事なんでしょうけれども。

 映画としての「おくりびと」は、観ていると、
「お葬式」、「マルサの女」といった、かつての伊丹映画や、
「それでも僕はやってない」の周防監督の映画を連想させます。
知られざる仕事にスポットを当て、ハウツー的なものを盛り込んだ点です。
食事のシーンなどは、「ひまわり」での描写を思い出します。

 分かりやすいストーリーで、
伏線からこうなるんじゃないかという期待通りに展開するドラマは、
登場人物たちの感情の変化もほぼ自然な感じで、
すんなり受け入れられました。
 葬式という愁嘆場が舞台になるので、深刻になりがちな部分を
ユーモアで和らげています。
そして、この映画は基本的にハッピーエンドで、完全な悪人が出てきません。
 分りやすいプロットとユーモア、見終わってほっとしたような気持ちになれる、
そんな点が海外でも受け入れられたんじゃないでしょうか。

映画の中で
「生き物は生き物を食って生きている」
という台詞がありました。
 これって、もっと言ってしまえば、
”全ての生き物はいつか食べられるために生きている”
じゃないでしょうか。
 食物連鎖の頂点に立つとされる肉食獣も、
死ねばウジや微生物の餌になって分解され、次の命になります。
人が火葬されても、できた二酸化炭素はいつか植物に取り込まれ、
生命のサイクルに戻ります。
 我々が自分自身と思っている肉体さえも、
いつかは分解され、別のものになっていくのです。
 この世界にいつまでも自分のものというものは一つもなく、
全ては借り物なんです。

そう考えると、いろいろな物を所有しようとするって、
ばかばかしく思えないでしょうか?
                (☆☆☆)
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by am-bivalence | 2008-11-10 21:33 | 人間ドラマ | Comments(0)