劇場で観た映画の覚え書き


by am-bivalence
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カテゴリ:アニメ( 7 )

SCREEN130 風立ちぬ

"一番傷つきながら生きている"ことの意味  公式サイト

 最初、アニメ「風立ちぬ」は印象悪かったです。
6月頃から映画館で「風立ちぬ」の4分間スポット予告を始めたんですが、
これが映画本編終了後に上映するという、タイミングの悪いもの。
観客が観たくて来た映画の後、余韻に浸る間もなく関係ない映画の予告など見せられたんじゃ興醒めです。
どんなに面白そうな映画でもこれでは逆効果、
絶対観に行ってやるもんか、と思ってしまいました。
(ジブリらしからぬまずい宣伝は、さすがに不評だったと見え、2週間ほどで普通の予告と同様、本編の前に上映するように変わりました。)
 でも宮崎アニメ、公開されるとやっぱり観に行ってしまうんですね。

 宮崎駿監督5年ぶりの新作は、実在の人物と現実世界を扱ったこれまでに無いパターン。
監督自身は子供向けアニメをやりたかったのですが、
鈴木プロデューサーが模型誌に連載したこのマンガの映画化を要望したとか。
 プロデューサーとしては低年齢層を意識した「ポニョ」がヒットはしたものの、
トトロほど人気を得られなかったので目先を変えたかったんでしょうか?

 それはともかく、出来上がったものを観ると、大地震で家の飛び跳ねる動き、汗の雫や吐血時の液体の表現など、ポニョで使った絵本やマンガのような、写実的ではない手法を踏襲してます。
宮崎監督、自分のやりたかったことをちゃっかり盛り込んでいます。
 鈴木プロデューサーは実在の人物、世界を扱うならば、得意の飛行シーンも使えないだろうと思っていたようですが、そこも宮崎監督、現実世界に夢の中、空想の中のシーンを差し込んで、思いっきり飛び回っています(笑)。 好きなプロペラ飛行機も思う存分引っ張り出して。
 プロペラやエンジン音など効果音を人の口でやるというのも、マンガ的表現の一環なんでしょう。この効果音は部分的に人の声と感じ取れるところがあって、空想の中の飛行機であるのが強調されたような不思議な感覚があったり、震災の時の地鳴りのような音に人のうなり声が混ざって不気味さが増していたり、面白い効果を上げていたと思います。
 震災時のモブシーンも見どころ。 これは大画面で観るべきでしょう。
夢の飛行シーンと比べると、震災シーンはさながら悪夢のようです。

 映画で隠れたファクターになっている仕事観ですが、
元になった雑誌連載の「風立ちぬ」では、二郎が自分の設計を通すためにさまざまな策を弄していて、狡猾ともとれる面が描かれています。
 宮崎監督は以前「カリオストロの城」を短期間で制作しなければならなかった時、スタジオ入り口に自分の机を置き、スタッフを帰りづらくして遅くまで働かせようとしたといいます。監督の言う"力を尽くして事を成す"とは、いい仕事のために手段を選ばないところがあって、仕事論として興味深かったのですが、映画ではそんな描写が無くなっていて拍子抜けでした。
まあ、あのまま映画にしていたら" 二郎っていやなヤツ"と思われたからでしょうけど(笑)。

 そしてラスト。最後になってゼロ戦に言及してるのですが、
ここが一番感動的でした。
夢を追って誰よりも優れた業績を上げたのに、その結果は。。。
 宮崎監督は庵野秀明を吹き替えに起用した理由について、
「現代で一番傷つきながら生きているから」と語っていました。
吹き替えの成否はともかく、ラストシーンでその意図が痛みとともに理解できたのでした。                                        (☆☆☆☆)
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by am-bivalence | 2013-08-09 22:50 | アニメ | Comments(0)
 キャラクターの成長とともに主題が変化していく映画には、さらに裏テーマが?  公式サイト

 この夏は映画の大作、話題作が豊富な年でした。
続編、リメイク的なものが多いのも特徴。

 傑作と言われる前作のプレッシャーをものともせず、
3部作を手堅く締めくくった「ダークナイト・ライジング」、

 「エイリアン」の皮を被った"ムー"だった「プロメテウス」、

 オリジナルだけでなく「ブレードランナー」、「フィフス・エレメント」といった
SF映画の雰囲気を盛り込んだ正統派SFアクション「トータル・リコール」、

 公開館が少ないので名作のリメイクで話題を狙っただけのキワモノかと思っていたら、
意外によく出来ていた「遊星からの物体X ファースト・コンタクト」、

"これが映画だ"と大見得を切ってるけど。。。の「アベンジャーズ」など、など。

 さてこの夏の話題作で気になったのが、
「時をかける少女」で一躍有名になった細田守監督最新作、
「おおかみこどもの雨と雪」。
ちょっと変わった映画でした。
なにしろ映画の進行とともに主題(テーマ)が変わっていくんです。

 冒頭は花と彼(おおかみおとこ)のラブストーリーと家庭の形成物語。
中盤はシングル・マザーとなってしまった花の子育て奮闘記。
終盤は二人の子供、雨と雪のアイデンティティーの確立と自立の物語。
 3つの主題が一本の映画となっているのは、お得といえばお得(笑)ですが、
観終わると、母親の物語だったのか、子供たちの物語だったのか、
印象が散漫になってしまうのが難点です。

 もうひとつ引っかかったのが、なぜ「おおかみこども」なのかということ。
細田守監督、子育てする女性のかっこ良さを描きたかったと語っていますが、
それだけなら「おおかみこども」である必然性は無いはずです。
 では、田舎暮らしを描くうちに「もののけ姫」のように自然対人間のテーマも盛り込むため、
自然の象徴として「おおかみこども」にしたのでしょうか。
でもここで描かれる「おおかみこども」は自然側の象徴としては少し違和感があります。
「おおかみこども」は人間に比べれば野性的かもしれませんが、
彼ら自身、野生動物からも畏れられる(疎まれる)存在ですし、
野生生活に入るにはそれなりの"訓練"が必要でした。
 また、「おおかみこども」はティム・バートンが好んで描くような
異形(変人、おたく)の象徴という意見もあります。
でもそれは個性であって"血統"とはちょっと違う気がします。

 では「おおかみこども」とは何なのか。
誤解を恐れずに深読みすれば、「おおかみこども」、「おおかみおとこ」は
混血や在住外国人の暗喩として、裏テーマ的に設定されたのではないのでしょうか。
ちょうど「千と千尋の神隠し」が"風俗で子供を働かせる親"という裏設定があったように。
 そう考えると終盤子供たちが"人間社会"の中で自分たちの属性に悩み、
それぞれ別の道を歩み始めるのが、すんなり受け入れられるのです。
社会の偏見に悩まされながら子育てする混血児のシングルマザーと、
成長するに従い、自身のアイデンティティーに揺らぐ在住外国人の子供達、
そんな比喩に思えてきます。
 おおかみこども達の父である彼(おおかみおとこ)の名前が出てこないのも意味深です。
名前は国籍を端的に表しますから。。。と、これも深読みしすぎでしょうか。
                            (☆☆☆)
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by am-bivalence | 2012-08-31 00:58 | アニメ | Comments(0)

SCREEN120 木を植えた男

 ”木を植えること”が意味するもの  参照サイト

 7/2~10/2の間、東京都現代美術館でカナダ在住のイラストレーターでアニメーション作家のフレデリック・バック氏の作品を展示するフレデリック・バック展が開かれています。
 これに合わせ都心でフレデリック・バック氏のアニメが上映されているのを知り、観に行ってきました。
上映作品は「木を植えた男」「トゥ・リアン」「大いなる河の流れ」「クラック!」の4本。
日によっては特別にフレデリック・バック氏の全9作品を観ることができます。

 「木を植えた男」は1987年制作のアニメーション映画。
一人の羊飼いが人知れず黙々と荒野に木を植え続け、
蘇った森に生き物が戻り、世界が再生していくという感動作です。

 バック氏のアニメは、つや消しフィルムに色鉛筆で直接描くという独特の技法で、
その画面は、まさに動くパステル画といった雰囲気。
「木を植えた男」は後半森が蘇生していくにつれ、色彩が豊かになっていきます。
手書きで動く絵の揺らぎが、そのまま木々の葉がそよぐ煌めきとなって美しく表現されていたりします。
 フレデリック・バック展ではその原画が展示されていますが、
私が驚いたのは、その原画の画面サイズがはがきほどの大きさしかなく、
そこに色鉛筆で非常に緻密に絵が描かれていることでした。
バック氏は作品によってタッチを変えていますが、
「大いなる河の流れ」では写実的な生物をはがきサイズの画面に精緻に描いています。
これがアニメーションのたった1コマだと思うと、バック氏の画力、
作業の膨大さ、早さに感嘆させられます。
(しかも「大いなる~」が制作されたのはバック氏が65~69歳の時です)

 バック氏のアニメは何かしら文明批評や環境保護の精神を含んでいます。
「木を植えた男」はジャン・ジオノの原作を映画化したものですが、
これにもバック氏のその精神は反映しています。
バック氏がこの原作に強く惹かれたのも、木を植えるという行為が
環境問題と大きく結び付いていたからでしょう。
 ただジャン・ジオノの原作は環境問題だけでなく、
いろいろなテーマを含んでいるようです。
私にはこの木を植えるという行為は単に自然保護を示すだけでなく、
理想の政治というものを暗喩しているように思えます。
社会環境を整備することで人の住みやすい社会が生まれ、
人々が集い幸福になっていく。。。
それが私利私欲でなく、代償を求めずに行われるのです。
 主人公が羊飼いであるのも、暗示的です。
キリスト教社会では羊飼いは迷える羊を導く救世主のシンボル、
転じて優れた指導者の象徴でもあるからです。
                     (☆☆☆☆☆)
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by am-bivalence | 2011-08-05 23:04 | アニメ | Comments(0)

screen77 崖の上のポニョ

アニメーター宮崎駿のこだわりが伝わる力作  公式サイト

 以前一度だけ三鷹の森ジブリ美術館に行ったことがあるんですが、
ここではジブリ・オリジナルの短編アニメを1回観せてくれます。
その時観たのが 中村季枝子「いやいやえん」を原作にした「くじらとり」。
 保育園児達が遊具の積み木で海に出て、鯨を捕るという
ごっこ遊びの空想をアニメにしているんですが、
これがほのぼのしていて、面白かったんです。
 ここのオリジナル・アニメは定期的に入れ替えしていて、他にもあるので、
ジブリ美術館に行けない人のためにも、まとめてDVDにして欲しいなあ、
と思うのですが。。。
おとなの事情で、しないだろうなあ。
 この「くじらとり」のエンドタイトルでは、スタッフ名をあいうえお順で並べています。
「崖の上のポニョ」のエンドタイトルでも全く同じスタイルを取っているのを観た時、
ははぁ、と納得しました。
 宮崎監督は、あの短編のような映画を劇場でやりたかったんだなと。

 「崖の上のポニョ」、某口コミサイトでは評判悪いですが、
私はこういうアニメ、「あり」だと思います。
アニメはもともと子供が観るものですよ。
いいおとなが、子供向けのアニメを観て文句を言っちゃいけません。
 そりゃあ、
よくわからないご都合主義的にも見えるハッピーエンドだとか、
前半の嵐の場面のアップテンポに比べ、
後半は水に沈んだ街の場面が静かすぎて退屈だとか、
自然描写を大切にしているのに、
海水魚をいきなり真水に入れるとは何事だとか、
(海水は塩水であると言う感覚が、全体に欠如しているんですよねえ。。。)
半魚人のポニョがかわいくないとか、
いろいろ欠点は挙げられますよ。
 でもアニメーションはいい仕事してるじゃあないですか。

 モブシーンが得意という宮崎監督、
わんさと出てくるクラゲや魚の大群、ポニョの妹達、
よく動いてるじゃないですか。
古典的なメタモルフォーゼもアニメーションらしくて、かえって新鮮です。
ポニョが波の上を疾走するシーンは圧巻で、観ていて思わず、
「名場面だ。。。」とつぶやいてしまいました。

 今の時代に子供に安心して見せられる映画がどれ位あるでしょう。
宮崎アニメをこれまでのジブリブランドとして見ていた人には
違和感を覚えるかもしれませんが、これぞアニメーション。
絵本のようなこの映画を商業ベースで成功させたのは並大抵ではないと思うのです。
                                   (☆☆☆)
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by am-bivalence | 2008-12-06 00:24 | アニメ | Comments(2)
 二本立てだったので、2つ並べて感想を書きます。

王と鳥 ~宮崎アニメの原型いっぱいの古典 公式サイト

 物語は天高くそびえる城が舞台。
城主である横暴な王様が唯一愛するのが、絵の中の羊飼いの娘。
しかし娘は、隣の絵の煙突掃除の青年と絵から抜け出し、
逃げてしまいます。
 それを追うのが同じく肖像画から抜け出した王様。
羊飼いの娘と煙突掃除の青年は
追っ手を逃れて城の下へ下へと進んでいき。。。

 この映画、いろいろな暗喩が読み取れるそうですが、
それよりも宮崎アニメの元ネタが随所に発見できて、驚かされます。

 お城のてっぺんにある王様の部屋は、
「ルパン三世 カリオストロの城」でクラリスの幽閉された塔そっくりですし、
城のそこら中に落とし穴があるのも、カリオストロ城そのものです。
羊飼いの娘がクライマックスに着せられるウェディング・ドレスは
クラリスの着たウェディング・ドレスに良く似ています。

 城全体の姿は「天空の城ラピュタ」のラピュタを思い起こさせ、
娘と青年を追う秘密警察の服装は「天空の城ラピュタ」で
シータとパズーを追う警察?にそっくりです。

 また娘と青年が城の中を逃走する場面は、
城内放送がスピーカーで流れたりして、
「未来少年コナン」でコナンとラナが
インダストリアを逃亡するイメージと重なります。
地下に住民が抑圧されているのも、インダストリアと同じです。
 さらにクライマックスには「風の谷のナウシカ」の
巨神兵のようなロボットが大暴れするのです。

 ただ、宮崎アニメの原典を知りたいマニアには興味深いでしょうが、
いかんせん、原型となった「やぶにらみの暴君」公開が
1955年といいますから、かなりの年代物です。
映画としては「古典」で、時代を感じてしまうのは仕方ないところでしょう。
                            (☆☆)


春のめざめ ~色彩・画力が圧巻、動く印象派絵画 公式サイト

 最初この映画の予告編を観た時、てっきり絵か実写をコンピューター処理して
油絵調に見せているんじゃないかと思っていました。
 でも実際は、ガラス板上に油絵を描いていき、
動かすところだけ絵具を拭っては描き直すという、
本当に油絵でアニメーションを作る、気の遠くなるような手法を使っているそうです。
 これはすごいです。
油絵画家としての技術と、アニメーターとしての技術、
両方の高度な技を必要とする手法で、実際にそれをやってみせているのですから。
色彩の美しさも素晴らしく、まさに動く印象派絵画です。
ドラマなど、どうでもいいくらい、画面に釘付けになっていました。

 物語は、16歳の少年が年上の女性と
手伝いの少女、二人の女性に同時に引かれるというもので、
アニメとはいえ、性のめざめも扱った大人のストーリーになっています。
 最後は「ことの終わり」を連想させる結末で、
肉欲だけでなく愛の持つ高潔な面もさらりと語っているのが、
独特の情感を残していました。

30分という中篇ですが、幻想的な雰囲気も併せ持つ絵の美しさは、
久々にDVDを買って何度も見直したくなったアニメーションでした。
                         (☆☆☆☆)
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by am-bivalence | 2007-11-06 01:14 | アニメ | Comments(2)
 人間に対する冷徹な目が子供向けを越えているが。。。  公式サイト

 隠れた傑作と評判の高い、
「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」
の原恵一監督が5年かけて製作したこの映画、
やはり評判が良さそうので、子供だらけで保育園状態の映画館で観てみました。

 この映画、ジブリ作品のように映像が美しいとか、
「アキラ」や「メモリーズ」のように、リアルに動く絵で
高いアニメーション技術を見せるとか、いう訳ではありません。
 プロットも子供が異生物と出会って交流するという構図は
「E.T.」以来、いくらでもあります。
20年以上前の「遠い海から来たCOO」などは、
なぜか主役の名前も同じです。
 それでもこの映画が他と違っている点を挙げるなら、
人間の現実を包み隠さない、ペシミスティックなまでの描写でしょう。

 物語中、子供の間では、いじめや仲間外れのような嫌がらせが
日常茶飯事のように行われています。
主人公 康一も、最初はいじめの仲間に加わっていたりします。
 一方でいじめをただ描くだけでなく、いじめられっ子にも
暗い雰囲気とか、いじめられても反撃しないとか
いじめられ易い理由までも描写したりしています。

 人間の嫌な面は子供社会だけではありません。
クゥは康一の家で隠れて生活していますが、マスコミに嗅ぎつけられ報道されると、
多くの人間が本人や周囲の迷惑を考えずに
クゥちゃんと呼びながら追い掛け回します。
 それはまるで多摩川のタマちゃん以降、
数々の○○ちゃんを追い掛け回す人々を見るようです。
 そんな身勝手な人間を描く一方、
上原一家がクゥを守ろうとするのも、友情を交わすのも
また、人間の一面であるのが救いです。
(ただ、いざという時に最も頼りになったのは犬の"オッサン"だけでしたが。)

 クゥは名前を聞かれても、人間に名前を教えようとしないことから、
クゥのモデルとして、"最後の純粋なアメリカ先住民"イシも取り入れているようです。
自然の中で育ったクゥが、仲間が全ていなくなり、異文化の中で暮らすのは
イシと共通な点が多くあるからでしょう。
イシも礼儀正しく、紳士的な人柄だったようです。
 クゥははっきり「ウソをつくのは人間だけだ」と当然のように言います。
クゥの「河童はウソはつかねぇ」というセリフは、
昔良く知られた、アメリカ先住民のセリフと重なります。

 シリアスな面ばかり取り上げてしまいましたが、
康一とクゥの過ごす夏休みは、楽しく、いい思い出となるもので、
夏休みに子供達が観るにはふさわしいアニメでしょう。
 ただ最後、クゥが行きたがっているからといって、
誰ともわからない相手にクゥを宅配便で送ってしまうのは
上原一家、ちょっと無神経すぎないでしょうか。

 冒頭から、クゥのお父さんが殺されるような残酷な場面や、
いじめを包み隠さず描写するなど、
子供向けアニメの枠を超えていてるようですが、
やっぱり対象は子供達であって、
大人ものめり込んで楽しめるかというと、ちょっと辛い気がします。
                               (☆☆)


参考文献:「イシ-北米最後の野生インディアン」
           シオドーラ・クローバー著 岩波現代文庫
   白人社会と接触を避けて暮らしていたアメリカ先住民
  ヤヒ族最後の生き残り、イシの実話。
  ヤヒ族は本当に親しい者にしか実名を明かさない風習があり、
  彼の呼び名、イシは名前でなく人間という意味だそうです。
   一族最後の一人となったイシが白人社会に現れて、
  亡くなるまでの数年間の記録ですが、
  前半のアメリカ西部での先住民迫害(というより虐殺)の歴史が凄まじく、
  その様はまさに人間狩りです。
   頭皮を剥いでいたのは先住民ではなく、白人であったことが判ります。
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by am-bivalence | 2007-08-16 21:30 | アニメ | Comments(2)
 あるべき形に収まったラストが観る者をしあわせにする  公式サイト

 私がピクサー作品を劇場で観たのは「Mr. インクレディブル」が初めてでした。
「Mr. インクレディブル」の予告編を劇場で見ていて興味を惹かれたのです。
主人公がピクサー初の人間だったことと、
髪の毛の表現がすごいと思ったからでした。

 風になびいたりする髪の動きを
CGで計算して描くのは大変なんだそうです。
 以前、フルCGの映画「ファイナル・ファンタジー」が公開され、
これからは俳優もCGで自由に作れる時代になると話題になりましたが、
この映画では髪が動いているのはヒロイン一人だけでした。
しかも髪の動きは計算したわけでなく、アニメーターが付けていたといいます。
 そんな髪の表現を「Mrインクレディブル」はリアルに計算で見せていました。

 CGに惹かれて観に行った「Mr. インクレディブル」ですが、
予想外に、その内容は大人にも十分楽しめる秀作でした。
ブラッド・バード監督の作品を観たのは初めてで、
ドラマ造りの巧さに感心させられました。
 そのブラッド・バード監督のピクサー第二回監督作が
「レミーのおいしいレストラン」です。

 「レミーのおいしいレストラン」のCGは、身の回りのものを
落ち着いた色彩とリアルな質感で自然に見せ、CGであることを感じさせません。
料理をおいしく見せるのは実写でも技術がいることですが、
CGでおいしそうな質感を表現するのもまた難しいそうで、
この難題もクリアーしてみせています。

 ねずみのレミーが料理に発揮する天才ぶりは
「パフューム」のグルヌイユを連想させました。
グルヌイユは嗅いだ香水を記憶を元に簡単に調合して見せますが、
レミーは、材料の味の記憶と嗅覚だけで料理の味を決めていきます。
一方、グルヌイユが匂いに取り付かれたといった感じなのに対し、
レミーは好きなことをやらずにはいられないという情熱を感じさせます。
 ただ、味覚の映像表現の演出では、それなりに匂いを連想させた
「パフューム」の匂いの映像表現ほうが一歩上じゃないでしょうか。
 
 レミーの天才ぶりに対し、相棒となる若者リングイニは、
全く凡庸で特別な才能は何もありません。
唯一、役に立つのは、髪の毛で体を操れるという"特異体質"だけです。
そんな二人?が、パートナーとして全く対等なのが意外です。
レミーが信頼を裏切って材料を盗んだと知ったリングイニは、
自分は全く料理ができないのに、レミーを追い出してしまうのです。
 どうも監督は能力差が生み出す力関係には焦点を当てずに、
純粋に二人の友情を描きたかったようです。
だからリングイニはコック見習いといっても、仕事が欲しかったからというだけで
料理に対する思い入れが全くない設定にしたんでしょうか。
 
(以下、ネタバレ)
 映画は前半、店の相続問題がクローズアップされますが、
この話で全体を引っ張るのかと思いきや、急展開であっさり解決し、
後半の批評家との対決になだれ込みます。
 この対決、悪役と思っていたイーゴ(声はなんとピーター・オトゥール)が
意外な面を見せ、
彼がプロフェッショナルな批評家であったことが判るのです。
最後を締めくくる批評家の言葉は感動的で、
日頃、好き勝手に映画のことを書いている私のような者にとっては
身につまされるものでもあります。
 彼の批評の内容は子供が簡単に理解できるほど平易なものではないので、
これは、明らかに大人に対するメッセージなのでしょう。

  コメディ映画ですが、アクションも恋愛も親子関係も織り交ぜて、
ラストは全ての歪みが是正され、あるべき形に収る大団円で、
観客をしあわせな気分にさせてくれるのでした。
                           (☆☆☆)


*蛇足の補足

  この映画の中のキーワード、"Anyone Can Cook"は
 「誰でも名シェフ(になれる)」となっていますが、
 正確には「誰でも料理できる(権利がある)」じゃないでしょうか。

  もし、誰でも名シェフになれるのであれば、
 料理センス・ゼロのリングイニにレミーが料理を教え、
 立派なシェフにするというストーリー展開の方が自然でしょう。
  しかし、映画は最後まで天才的才能を持ったレミーが料理をしています。
 映画のポイントは、おいしい料理を作る能力と情熱があれば
 ねずみでも調理場に立てるという点にあったのではないでしょうか。
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by am-bivalence | 2007-07-29 00:14 | アニメ | Comments(7)