劇場で観た映画の覚え書き


by am-bivalence
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カテゴリ:SF( 5 )

 スターウォーズファンが自分で観たいスターウォーズを作ったら
こんな映画になっちゃいました?
 公式サイト

 予告編を観たときから、ちょっといやな予感がしたんですよね。
帝国が崩壊してから30年経っているはずなのに帝国軍と反乱軍がまだ戦っていて、
出てくる戦闘機もほとんど変化してないXウィングとTIEファイター。
30年間何やってたんでしょ。
 実際、公開後の反響でしばしば聞くのが
“面白かったけど、「新たなる希望」を観ているみたい”
 私も観てそんな感じを持ちました。
なぜ「フォースの覚醒」はそんな既視感を感じてしまうんでしょう?

 そもそもジョージ・ルーカスがスターウォーズでやったことは娯楽映画の復権でした。
「新たなる希望」が作られた70年代、ハリウッドはアメリカン・ニューシネマのムーブメントがあって、社会性を伴ったシリアスな現実を見せるのが一つの主流でした。
そこに娯楽としての映画を改めて造り大ヒットしたのがスターウォーズでした。
 ルーカスはTVで観ていたフラッシュ・ゴードンを映画化したかったのですが叶わず、
オリジナル作品であるスターウォーズを産み出します。
SFである自由さを活かし、ルーカスはそこに過去の様々な連続活劇、娯楽映画のエッセンスを注ぎ込みました。
Xウィングの空中戦はもちろん戦争映画、
ライトセーバーはチャンバラ時代劇、
ルークやハン・ソロが酒場で絡まれるのは西部劇、
ルークがレイアを抱えてロープで谷を越えるのはターザン映画、
セールバージでの処刑は海賊映画、
様々な惑星を渡り歩くのは世界を叉にかける007のオマージュ、
etc.etc...

 では、「フォースの覚醒」はどうでしょうか。
他の娯楽映画を連想させるようなシーンはほとんどありません。
観ていると、どこかスターウォーズシリーズで観たようなシーンが多いんです。
(ひとつ他作品のオマージュと思われるのが冒頭のレイ登場シーン。
ここは「風の谷のナウシカ」の冒頭でナウシカが腐海を探索するシーンを思わせました。
「ナウシカ」は宮崎駿が「ゲド戦記」をアニメ化したかったのに叶わず、
オリジナル作品として誕生したのがスターウォーズと似てます。)

 これまでのスターウォーズが娯楽映画の集大成にしようとしていたのに対し、
「フォースの覚醒」はこれまでのスターウォーズシリーズばかり参照して
表面的にスターウォーズらしさを作っている様に見えるんです。
まるでスターウォーズの大ファンが過去作品を継ぎはぎし、
自分の観たいスターウォーズを作ってしまったかのようです。
 製作スタッフほとんどがファンであるのを表明しているので、
そうなってしまっても仕方ないのかもしれませんけど(笑)。

 なぜこれまでのスターウォーズを継ぎはぎしたような映画になったか、
その訳はやはりルーカスからディズニーへ制作が移ったことにあるようです。
「フォースの覚醒」はオープニングのタイトルロゴに、
本来ならディズニーのシンデレラ城が現れるはずが、ルーカス・フィルムのものが流れます。
つまり、ディズニーはスターウォーズをディズニー・ブランドとは距離を置かせ、
いわばスターウォーズ・ブランドとして独立させているのです。
下手にディズニーを意識させると観客が離れてしまうのを自覚しているのでしょう。
 その配慮が作品にも及んだのではないでしょうか。
制作体制が違ってもスターウォーズの世界は変わらないとアピールするために、
メカなども大幅なリニューアルはせず、プロット、シチュエーションも似たような感じにして
わざと既視感を持たせ、スターウォーズらしく見せたように思えます。

 ともあれ、主役が女性だったり、脱走兵が主要キャラの一人だったりして、
新機軸も見られますし、次作の伏線だろう幾つもの謎なども提示されています。
次回はJJ・エイブラムズらしい意表を突く展開を期待しましょう。(☆☆☆)
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by am-bivalence | 2016-01-17 00:39 | SF | Comments(0)
「ゴジラ」に垣間見る戦争の影 公式サイト

 ハリウッド版「ゴジラ」公開に先立ち、オリジナルの「ゴジラ」デジタルリマスター版が公開されました。
リメイク版「ゴジラ」にこんな副産物が付いてくるなんて、
私としては新作公開よりもこちらの方がかなり嬉しい(笑)。
10代の頃にTVでしか観たことがなかった伝説的作品が映画館の大画面で観られるのですから。
しかもゴジラと因縁深い有楽町でもやっている。
なので観に行ってきました、近場でなくシャンテまで。

 映画が始まるとオープニングにあのテーマ曲が。
「ゴジラ」が甦っている!とワクワク感が高まります。
デジタルリマスターされているだけあって傷が無いのはもちろん、音声も明瞭な気がします。
 でもねえ。。。1954年公開の古典的作品、やはり時代を感じてしまいます。
子供の頃喜んで観ていた「大怪獣ガメラ」も今見直すとチープな作りにツッコミ所満載だったりするように、「ゴジラ」も今見るとオイオイと突っ込みたくなります。当時としては大人の観客も意識した怪獣映画としては高い年齢層を狙ったものだったのですが。
伝説は伝説のまま、そっとしておいたほうが良かったかも(笑)。

 面白いのは志村喬演じる山根博士。いち早くゴジラを調査しその脅威を警告して、
一見良識的科学者のように見える山根博士ですが、
ゴジラの殺害には反対し、捕獲して研究することに固執します。
あの狂暴で放射能まみれのゴジラをですよ。
 この辺り、ゴジラを倒すオキシジェンデストロイヤーを造った芹沢博士よりも
山根博士のほうにマッド・サイエンティストぶりを感じてしまいます。
逆に、意図せずして自分の生み出したオキシジェンデストロイヤーを畏怖し苦悩する芹沢に、とてもヒューマニズムを感じます。

 今「ゴジラ」を観直してみて気付かされるのは、映画の背景に見える戦争の影です。
「ゴジラ」公開は1954年、第二次大戦終結から9年しか経っていません。
 ゴジラが首都圏を襲う経路は、実はB-29の空襲経路だそうです。
ゴジラの背後で東京の街が火の海と化し、病院が野戦病院のように怪我人で溢れる様は、当時の人にはとてもリアリティを持って恐怖と不安を呼び覚ましたのではないでしょうか。ちょうど3.11以降、我々が地震や津波に対して持つように。
いや実際に戦争を経験し命を危険に曝した世代には、それ以上だったでしょう。
 芹沢博士も戦争で片目を失い顔に傷を残した設定になっています。
戦争の傷を忘れるため研究に没頭した成果がオキシジェンデストロイヤーという大量破壊兵器となってしまう悪夢。水爆という大量破壊兵器の申し子であるゴジラに対抗するには大量破壊兵器しかないという矛盾。
 芹沢が苦しみ最後にあのような行動を取るのを、子供の頃私は理解できなかったのですが、今は理解できる気がするのでした。     (☆☆)
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by am-bivalence | 2014-06-22 01:12 | SF | Comments(0)
 限りある命の意義を問う、ハードボイルドSFの名品 公式サイト

 1982年に公開された「ブレードランナー」、リドリー・スコットの手で
再編集、デジタル処理された”最終バージョン”が
DVD発売前にニューヨーク、ロサンゼルス、日本限定で
劇場上映されているので観てきました。

 「ブレードランナー」は5バージョンあるそうですが、ファイナル・カット版はどう違うのか、
詳しくはeiga.comの特集記事で御覧戴くとして、
簡単に言ってしまうとディレクターズ・カット版の
修正、デジタル・リマスター版といったところでしょうか。
 目立った変更は、ゾーラの潜伏しているダンスホールで
ダンサーのカットが追加されている点、
ゾーラが撃たれてガラスのショーウインドウに突っ込むシーンが
撮り直されている(!?)点だそうで、
ディレクターズ・カット版と全体の印象はほとんど同じです。
 ただ、やはり劇場の大スクリーンで観るのはいいもので、
特に手直しされただろう音響効果が、劇場で体感すると迫力が全く違います。
ファンでしたら、劇場で観ることをお薦めします。
 
 「ブレードランナー」は「スターウォーズ」以降多数作られたSF映画の一本で、
公開当時は「スターウォーズ」のハン・ソロ役でブレイクした
ハリソン・フォード主演ということが話題になりました。
ただ、単純な娯楽作でなく難解な結末や、
未来都市のダークで閉塞的雰囲気もあいまって、
一般受けせず、興行的にはうまく行かなかったと思います。
 そんな「ブレードランナー」がこんなに長く名作として生き続けているのは
ちょっと意外というか、奇跡のようにも思えます。

 今回観直してみて、前半の未来都市のビジュアルのみならず、
クライマックスの生命について考えさせる哲学的な面も古びておらず、
同じ感慨を起こさせるのに驚きました。
 レプリカントの短命さは比喩であって、
限りある命をもって生きているのはあらゆる生命に共通、
人間もまた同じです。
死が迫ることで生への執着を実感し、限りある命を精一杯生きることに気付く。。。
レイチェルと逃避しようとしているラストのデッカードはそんな風に思えるのです。

 それにしても、こうして何度も手直しを受け、
注目される「ブレードランナー」は幸福な作品です。
                      (☆☆☆☆)
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by am-bivalence | 2007-11-25 02:16 | SF | Comments(2)
スピルバーグ、何をプロデュースしていた?  公式サイト

 私、勘違いしていました。
全米で初公開1位となり好興行成績を上げたのも、
以外と一般の評判が悪くないのも、
CG技術でみせるリアルなロボットが凄いからとか、
実写映画向けにリニューアルされたドラマが良かったからとか、
いうわけではなかったようです。
 アメリカではアニメ版が昔から大人気だったので、
子供の頃アニメを見て育った若者が喜んで観ているから、らしいです。

 この映画は、ドラマがしょーもないからといって、
文句を言うのは的外れらしいです。
元々が、おもちゃを売るためのチィープなアニメだったんですから。
むしろ、元のアニメの設定をうまく消化して生かしていることを
評価するべきらしいです。

 あっという間に変形するCGのロボット達は、確かに良くできていますが、
のしのし歩いたり、ロボットなのにまばたきしながら話す様は、
「宇宙戦争」で見たリアルで巨大なメカ兵器というより、
「ロード・オブ・ザ・リング」のエント族がメカになったようです。
 ロボットが瞬時に戦闘機になって飛んでいくところなどは、
○クロスの○ルキュリーそっくり。

 さすがにアクションシーンとなると
俄然、スピード感が増してきて、大迫力ではあります。
カーチェイスなどは「マッドマックス2」を彷彿とさせます。
 楽しませてくれるのはそれぐらいです。

 スピルバーグ、どういうプロデュースしてたんでしょう。
久しぶりに大スカを引いた気分にさせてくれた映画でした。
                              (
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by am-bivalence | 2007-08-26 20:03 | SF | Comments(4)
 新三部作で評価を落としてしまった感のある
スターウォーズ・サーガですが、映画を語る上で
欠かせない作品であるのは間違いありません。

 スターウォーズの世界観を形造るうえで
無くてはならないものの一つが、ライトセイバーです。
(初公開時はライトサーベルと訳されてました。)
強力なビームが剣となるライトセイバーは、
古い世界観とリアルなメカが融合したスペースオペラである
スターウォーズ世界を端的に示したアイテムでした。
ただ、物理法則を無視したような
ライトセイバーのような武器がどうやったらできるかは、
物理学者をも巻き込んで(?)議論されてきました。

 レーザー光のように見えるライトセイバー、
本当にレーザーなら、適当な長さでちょん切れるはずがありません。
スターウォーズ世界には、光の光路を自由に制限できる
テクノロジーでもあるのでしょうか。
もし、仮にそんなテクノロジーがあったとしても、
本当に光ならライトセイバー同士で切り結ぶなんて
できないはずです。
光同士交差しても、すり抜けるだけだからです。

 私はこのライトセイバー、実は光ではなく、
伸縮自在の発光する高エネルギー体でできている、
と考えています。
 そんな夢がない、と思わないで下さい。
証拠が映画の中にあります。

 「スターウォーズ ジェダイの帰還(復讐)」では、
ルークとダース・ヴェイダーが
パルパティーン皇帝の前で決闘します。
戦いたくないルークに、ヴェイダーが
ライトセイバーを投げつけるシーン、
投げられたライトセイバーをよ~く見て下さい。
ライトセイバーは刃を中心にして回転しています。
ライトセイバーが光なら、この動きはあり得ません。

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 物体が空中で回転するとき、
物体は重心を中心にして回転します。
ライトセイバーが光なら、光は質量がほとんどありませんから、
ライトセイバーの重心は刃ではなく、本体側にあるはずです。
本体を中心にして回転しなければなりません。
刃を中心にして回転しているということは、
ライトセーバーの刃は質量を持つ物質であるということになります。

 ライトセイバーが伸縮自在の物質であるなら、
切り結ぶのに何の違和感もありません。
高エネルギーを持った物質がプラズマ発光しているとすれば、
色にバリエーションがあるのも説明できるんじゃないでしょうか。
だから、ライトセイバーは「光の」剣ではなく、
「光る」剣なんです。

 スターウォーズの図解本には
ライトセイバーの中にクリスタルがあって
いかにも光を出すように解説していますが、
これはライトセイバーは光であるという神話を造り、
敵に武器の構造を知られないようにするための、
ジェダイ騎士団の策謀と思われます。
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by am-bivalence | 2007-01-14 01:09 | SF | Comments(2)