劇場で観た映画の覚え書き


by am-bivalence
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SCREEN119 冬の小鳥

 受け入れがたい現実を容認していくとき、人に起こる変化 公式サイト

 NHK教育に「名作ホスピタル」っていう番組があります。
昔のアニメを題材に心や体の健康を考える番組なんですが、
キャストの中川翔子ちゃんのオタクっぽいところが好きで、毎回何となく観てます(笑)。
 前回は「大切なものを失ったとき」がテーマでした。
番組によると、人はかけがえのないものを失ったとき次の段階を経て感情が変化し、
現実を受け入れていくそうです。
 1)パニック(号泣、混乱等)
 2)否認、怒り(そんなのウソだ!、何で私がこんな目に遭うのか、等)
 3)取引(良い子にしているから返して下さい、等)
 4)抑うつ(何もする気が無くなり、虚無的になる)
 5)受容(失ったことを現実としてあるがままに受け入れる)
人はこの段階をきちんと踏まえた方が早く感情が安定するとも言います。

 知っている人ならすぐ気付いたと思いますが、
これはキューブラー・ロスの言う、人が死を受け入れる際の心理とほぼ同じです。
ロスは著書「死ぬ瞬間」で、不治の病に侵された人が死を受け入れていく過程の観察から、人の心理は段階を追って変化し最後は静かに死を受け入れていくとしました。
番組で示されたモデルはこれを応用・発展させたもののようです。
大切なものを失った場合も、死を目前にした場合も、
受け入れがたい現実を容認する心理過程は同じ、という事なのでしょう。
 韓国映画「冬の小鳥」を観ていたら、この事を思い出しました。

 映画「冬の小鳥」は1975年の韓国を舞台に、
大好きな父親に孤児院に置き去りにされた少女ジニの物語。
 この映画、プロデューサー、キャスト、撮影が韓国のせいか、韓仏合作の韓国映画となっていますが、監督のウニー・ルコントは幼少の頃フランスに里子に出された韓国系フランス人。自身の体験を元に書いた彼女の脚本が注目され、制作されたそうですが彼女はずっとフランス映画界に関わっていて、彼女自身は韓国語も忘れてしまっているそうです。
実はこの映画、韓国映画の皮をかぶったフランス映画とも言えるのではないでしょうか。

 それはともかく、この映画の一番の魅力は主人公であるジニです。
演じるキム・セロンの可愛らしさもあるのですが、
父に突然孤児院に預けられたジニがとる反抗が、とても子供らしく自然です。
例えば孤児院での初日、ジニは置き去りにされたことが信じられず孤児院に入るのを拒否し、夜真っ暗になるまで庭の片隅でずっとうずくまっています。
この意固地さと不安感、私は子供の頃の似たような体験を思い出しました。
 大人に反抗する子供と言えば、「大人は判ってくれない」のコレット君ですが、
彼は平気で嘘をついたりするちょっと悪ガキで、少し理解しがたいところがあるのに対し、
ジニの感じる戸惑い、不安、怒り、そして世界への不信感はよく理解できますし、
そこから生じる彼女の反抗も共感できます。
孤児院のジニは「害虫」のサチ子のように寡黙で、笑いません。

 孤児院にいる事実を拒否し、周囲から孤立していたジニも、
次第に父親に捨てられた現実、孤児としての生活を受け入れざるおえなくなります。
この過程が冒頭の「大切なものを失ったとき」と似た部分があって、あの番組を連想させたのでした。
孤児院の友達との間に起きたつらい出来事の後、父との繋がりが無くなった事実を知った時、怒っていたジニは抑うつ状態になっていきます。
この後ジニは、ある通過儀礼的行為を行ったことで、態度が大きく変化するのです。
ここはある意味「死ぬ瞬間」のようで象徴的です。
人が受け入れがたい事実を認めるには、このような過程が必要ということでしょうか。

 ジニは最後まで父を慕う感情を失くしませんでした。
親への盲目的信頼がまた子供らしくて、胸を締め付けるのでした。
                            (☆☆☆☆)
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by am-bivalence | 2011-05-22 23:03 | 人間ドラマ | Comments(2)

SCREEN118 風と共に去りぬ

不朽の大河メロドラマ、前半のラストがすごい 参照サイト

 もう何度もTVやDVDで観ていながら、大スクリーンではなかなか観る機会がなかった「風と共に去りぬ」、午前10時の映画祭でやっと劇場で観ることができました。
劇場だと序曲や終曲も上演されるのがうれしい限りです。
 この一大大河メロドラマ、制作年が1939年と映画祭中最も古い作品なのにカラーであるのもすごいのですが、今でも使われる恋愛ドラマのパターンが既に出来上がっているのにも驚かされます。
勝気で自分に率直なヒロインや、不良っぽくて包容力がある男性に反発しながら惹かれるさま、
お互い気になりながら すれ違いを繰り返すじれったさ。
不朽の名作として今なお観られているわけです。
(旧作なので以下ネタバレ気にせず書きます。 気になる方は飛ばして下さい。)

 今回じっくり見直して、今更ながら気付いたのは、
自分の意志でやりたいように生きた印象だったスカーレット・オハラが、
実は、ままならない人生に翻弄されていて、いつも決して満たされず幸福でなかったこと。
 そして、初めて観た時は気の強いスカーレットがそれなりにチャーミングに見えたのに、
今改めて観ると、単にわがままで幼稚な女性にしか思えず、魅力が無くなってしまったこと。
逆にあまりにも優等生的でリアリティがなかったメラニーのほうが、その純真さと聡明さに人間的にも惹かれたこと。 レッド・バトラーもメラニーには一目置いていたのが今になって理解できました。
 この変化は自分が年とったせい(笑)もあるかもしれませんが、現代の人々の変化、
今の世の中、スカーレットのようなキャラはありふれてしまって、メラニーのような人間こそ少なくなってきたからのような気がしてなりません。

 「風と共に去りぬ」と言えば名セリフ、
  「明日は明日の風が吹く(After all, tomorrow is anather day.)」
と共に、絶望的状況でも明日へ希望を託すラストシーンが有名ですが、
私はそれよりも前半の最後が強烈に印象に残っていて、何度観ても感動してしまいます。
スカーレットが空に向かって独白するシーンです。

 陥落するアトランタから必死の思いで脱出し、
故郷タラに戻ったスカーレットが直面したのはタラの惨状でした。
財産はおろか食糧さえ無く、ひもじさのあまり、畑に残った大根を掘り出し齧りつくスカーレットは
惨めさに思わず嗚咽してしまいます。
でも次の瞬間スカーレットは立ちあがり、天を仰いでこう宣言するのです。
 「神様に誓います、こんなことで私は負けません。
 私は生き抜いてみせます、これを乗り越えて、二度と飢えたりしません…
 たとえ嘘をつき、盗み、騙し、人殺ししなくてはならなくてもです。
 神様に誓います、私はもう二度と飢えません!」

これはすごいと思いません?
神に向かって「生きるために人殺しもいとわない」
と言ってしまうんですよ。
人間としての誇りを取り戻すために、全てを奪った神への宣戦布告とも受け取れる
言葉を口にするスカーレットの強烈な意志と生命力、そして覚悟。
 実際このあと、スカーレットはその言葉を図らずも実行していく強靭さを示しますが、
反面、後になって悪夢にうなされる人間的な面も描かれているのがこの映画の深いところ。

 生き抜くために犯罪をも肯定することの是非はともかく、
(これ、非常時の略奪や暴動を肯定する論理なんです)
このスカーレットの強さこそ、今の日本に必要ではないでしょうか。
                      (☆☆☆☆☆)
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by am-bivalence | 2011-05-03 17:21 | ラブストーリー | Comments(0)