劇場で観た映画の覚え書き


by am-bivalence
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タグ:アクション ( 27 ) タグの人気記事

 スターウォーズファンが自分で観たいスターウォーズを作ったら
こんな映画になっちゃいました?
 公式サイト

 予告編を観たときから、ちょっといやな予感がしたんですよね。
帝国が崩壊してから30年経っているはずなのに帝国軍と反乱軍がまだ戦っていて、
出てくる戦闘機もほとんど変化してないXウィングとTIEファイター。
30年間何やってたんでしょ。
 実際、公開後の反響でしばしば聞くのが
“面白かったけど、「新たなる希望」を観ているみたい”
 私も観てそんな感じを持ちました。
なぜ「フォースの覚醒」はそんな既視感を感じてしまうんでしょう?

 そもそもジョージ・ルーカスがスターウォーズでやったことは娯楽映画の復権でした。
「新たなる希望」が作られた70年代、ハリウッドはアメリカン・ニューシネマのムーブメントがあって、社会性を伴ったシリアスな現実を見せるのが一つの主流でした。
そこに娯楽としての映画を改めて造り大ヒットしたのがスターウォーズでした。
 ルーカスはTVで観ていたフラッシュ・ゴードンを映画化したかったのですが叶わず、
オリジナル作品であるスターウォーズを産み出します。
SFである自由さを活かし、ルーカスはそこに過去の様々な連続活劇、娯楽映画のエッセンスを注ぎ込みました。
Xウィングの空中戦はもちろん戦争映画、
ライトセーバーはチャンバラ時代劇、
ルークやハン・ソロが酒場で絡まれるのは西部劇、
ルークがレイアを抱えてロープで谷を越えるのはターザン映画、
セールバージでの処刑は海賊映画、
様々な惑星を渡り歩くのは世界を叉にかける007のオマージュ、
etc.etc...

 では、「フォースの覚醒」はどうでしょうか。
他の娯楽映画を連想させるようなシーンはほとんどありません。
観ていると、どこかスターウォーズシリーズで観たようなシーンが多いんです。
(ひとつ他作品のオマージュと思われるのが冒頭のレイ登場シーン。
ここは「風の谷のナウシカ」の冒頭でナウシカが腐海を探索するシーンを思わせました。
「ナウシカ」は宮崎駿が「ゲド戦記」をアニメ化したかったのに叶わず、
オリジナル作品として誕生したのがスターウォーズと似てます。)

 これまでのスターウォーズが娯楽映画の集大成にしようとしていたのに対し、
「フォースの覚醒」はこれまでのスターウォーズシリーズばかり参照して
表面的にスターウォーズらしさを作っている様に見えるんです。
まるでスターウォーズの大ファンが過去作品を継ぎはぎし、
自分の観たいスターウォーズを作ってしまったかのようです。
 製作スタッフほとんどがファンであるのを表明しているので、
そうなってしまっても仕方ないのかもしれませんけど(笑)。

 なぜこれまでのスターウォーズを継ぎはぎしたような映画になったか、
その訳はやはりルーカスからディズニーへ制作が移ったことにあるようです。
「フォースの覚醒」はオープニングのタイトルロゴに、
本来ならディズニーのシンデレラ城が現れるはずが、ルーカス・フィルムのものが流れます。
つまり、ディズニーはスターウォーズをディズニー・ブランドとは距離を置かせ、
いわばスターウォーズ・ブランドとして独立させているのです。
下手にディズニーを意識させると観客が離れてしまうのを自覚しているのでしょう。
 その配慮が作品にも及んだのではないでしょうか。
制作体制が違ってもスターウォーズの世界は変わらないとアピールするために、
メカなども大幅なリニューアルはせず、プロット、シチュエーションも似たような感じにして
わざと既視感を持たせ、スターウォーズらしく見せたように思えます。

 ともあれ、主役が女性だったり、脱走兵が主要キャラの一人だったりして、
新機軸も見られますし、次作の伏線だろう幾つもの謎なども提示されています。
次回はJJ・エイブラムズらしい意表を突く展開を期待しましょう。(☆☆☆)
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by am-bivalence | 2016-01-17 00:39 | SF | Comments(0)
「ゴジラ」に垣間見る戦争の影 公式サイト

 ハリウッド版「ゴジラ」公開に先立ち、オリジナルの「ゴジラ」デジタルリマスター版が公開されました。
リメイク版「ゴジラ」にこんな副産物が付いてくるなんて、
私としては新作公開よりもこちらの方がかなり嬉しい(笑)。
10代の頃にTVでしか観たことがなかった伝説的作品が映画館の大画面で観られるのですから。
しかもゴジラと因縁深い有楽町でもやっている。
なので観に行ってきました、近場でなくシャンテまで。

 映画が始まるとオープニングにあのテーマ曲が。
「ゴジラ」が甦っている!とワクワク感が高まります。
デジタルリマスターされているだけあって傷が無いのはもちろん、音声も明瞭な気がします。
 でもねえ。。。1954年公開の古典的作品、やはり時代を感じてしまいます。
子供の頃喜んで観ていた「大怪獣ガメラ」も今見直すとチープな作りにツッコミ所満載だったりするように、「ゴジラ」も今見るとオイオイと突っ込みたくなります。当時としては大人の観客も意識した怪獣映画としては高い年齢層を狙ったものだったのですが。
伝説は伝説のまま、そっとしておいたほうが良かったかも(笑)。

 面白いのは志村喬演じる山根博士。いち早くゴジラを調査しその脅威を警告して、
一見良識的科学者のように見える山根博士ですが、
ゴジラの殺害には反対し、捕獲して研究することに固執します。
あの狂暴で放射能まみれのゴジラをですよ。
 この辺り、ゴジラを倒すオキシジェンデストロイヤーを造った芹沢博士よりも
山根博士のほうにマッド・サイエンティストぶりを感じてしまいます。
逆に、意図せずして自分の生み出したオキシジェンデストロイヤーを畏怖し苦悩する芹沢に、とてもヒューマニズムを感じます。

 今「ゴジラ」を観直してみて気付かされるのは、映画の背景に見える戦争の影です。
「ゴジラ」公開は1954年、第二次大戦終結から9年しか経っていません。
 ゴジラが首都圏を襲う経路は、実はB-29の空襲経路だそうです。
ゴジラの背後で東京の街が火の海と化し、病院が野戦病院のように怪我人で溢れる様は、当時の人にはとてもリアリティを持って恐怖と不安を呼び覚ましたのではないでしょうか。ちょうど3.11以降、我々が地震や津波に対して持つように。
いや実際に戦争を経験し命を危険に曝した世代には、それ以上だったでしょう。
 芹沢博士も戦争で片目を失い顔に傷を残した設定になっています。
戦争の傷を忘れるため研究に没頭した成果がオキシジェンデストロイヤーという大量破壊兵器となってしまう悪夢。水爆という大量破壊兵器の申し子であるゴジラに対抗するには大量破壊兵器しかないという矛盾。
 芹沢が苦しみ最後にあのような行動を取るのを、子供の頃私は理解できなかったのですが、今は理解できる気がするのでした。     (☆☆)
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by am-bivalence | 2014-06-22 01:12 | SF | Comments(0)
 クラーク・ケントはいい人だ 公式サイト

 2006年の「スーパーマン リターンズ」は無かったことにして、
クリストファー・ノーランのプロデュースにより再リブートしました、新シリーズ。
 
 ノーランが制作するだけあって、今度のスーパーマンは悩みながら行動するのが
特徴。
自身のアイデンティティーを求めてクラーク・ケントが世界を放浪するところは
「バットマン ビギンズ」のブルース・ウェインと重なります。
 彼の悩みは自分が何のために何処から来たのか、
自分の超能力を活かし人々を救うため、能力を公表すべきか、ということ。
クラーク・ケントは育ての親から超能力のために人から恐れられ迫害を受けないよう、力を隠す事を教えられてきたからです。
 でもここがどうも私には引っ掛かります。力を公にするかどうか以前に、
人間は救うだけの価値があるのか、クラークは疑問に思わないのでしょうか。

 彼は子供時代にその特殊能力が元でいじめられています。
人間の厭な面も見せられてきたわけで、私なら人のために働くべきか悩む前に、
人間が守るに値する存在なのか悩んでしまう気がします。
 ましてや神憑り的能力であれば、宮崎駿監督が言うように「人間を罰したい」という衝動にも駆られてしまうんではないでしょうか。
 しかしクラークの思考にはそんな発想が全くありません。
彼にとって人間を守るのは自明であって、人間の存在そのものに全く疑問を持たないのです。
 人に対する絶対的信頼、クラーク・ケントっていい人だなぁ。
そういう健全な人格だからこそ、正義のヒーローたり得るんでしょう。
                            ☆☆☆
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by am-bivalence | 2013-10-20 22:22 | アクション | Comments(0)

SCREEN121 大いなる西部

 西部劇を否定した西部劇 参照サイト

 午前10時の映画祭には西部劇が6本含まれています。
(「ワイルド・バンチ」「明日に向かって撃て!」
「シェーン」「大いなる西部」「荒野の七人」「荒野の用心棒」)
ジョン・フォード作品やジョン・ウェンが出てこないのが"?"ですが、
ともあれ、私がこの中で一番面白いと思ったのが、「大いなる西部」でした。
 なにしろこの映画、
タイトルからは西部劇礼賛のような映画に見えますが、実際はその逆、
西部劇が暗黙のうちに賛美している"力の正義"や"暴力"を批判し、
ある意味西部劇自体を否定してしまったような映画なんです。
(以下ネタバレ注意)

 「大いなる西部」の主人公は東部からやってきた元船長、ジェームズ・マッケイ。
彼はテキサスの大牧場主の娘パットと婚約し、
東部の生活を捨ててテキサスに来たのですが、
パットの父が経営する牧場は水場を巡って別の牧場と対立していました。
テキサスに着いて早々マッケイは、
敵対する牧場主の息子一党から嫌がらせを受けます。
ところがこの時のマッケイの反応が変わっていました。
憤慨するパットを横に、マッケイは嫌がらせを受けても、
何事もなかったかのように平然としていたのです。
 普通の西部劇ならその場で応酬するか、後できっちりやり返すのが定石でしょう。
しかしマッケイにはそんなそぶりは全く無く、
ちょっと手荒い歓迎を受けた程度にしか受け取ろうとしませんでした。
彼は徹底した平和主義、非暴力主義者だったのです。

 マッケイは"力"を行使したり、誇示することを嫌います。
彼の平和主義は西部の人間には臆病者のように見られ、
やがて婚約者からも失望されて、マッケイは牧場を出て行くことになります。
非暴力を貫くのは、実は暴力に暴力で対抗するよりずっと難しく、
理性と勇気がいるものなのですが。。。
 牧場を出て行く夜、
マッケイは牧童頭のスティーブと二人だけで殴り合いの決闘をするのですが、
最後にマッケイは吐き捨てるように言います。
「これが何の証明になった?」

 西部劇と言えば卑劣な悪漢を正義のガンマンが撃ち倒すのが一つのパターン。
「シェーン」などはその典型、爽快な勧善懲悪がカタルシスを生む、娯楽の王道です。
でも、それって冷静に見れば殺人じゃないですか?
銃に対抗して銃で決着を付ける、最後は正義の名の下に力が物を言うわけです。
西部開拓時代、法の庇護が及ばない広大な土地では、
そういった事はどうしても必要だったのでしょう。
開拓者が無法者、大自然の猛威といった様々なものから身を守るために
頼れるのは自分自身しかなかったからです。
自立自衛が開拓者精神、アメリカ人の精神的原点でもあります。

 ただ、力に力で対抗する時、無法者とヒーローの境界は
"正義を行っている"という一点だけです。
でもその正義が相手の立場からは悪だったら?
各々がそれぞれの立場で正義を主張したらどうでしょうか。
それは、自分が正しいと思えば力づくで相手に従わせてしまう危険性を孕んでいます。
 そして強さが物を言う世界では、マッチョな男らしさを信奉し、
臆病者を毛嫌いするメンタリティが生まれてくるのです。
(今年公開の「ツリー・オブ・ライフ」にも息子に強くあることを強要する父親
が描かれていますが、この舞台がテキサスであるのも無関係でないと思います。)

 「大いなる西部」でも仇の牧場主ヘネシーにも言い分があって、
彼の主張も正当性があるように描写されています。
 マッケイは何とか両者を和解させようと模索するのですが、
水場を争う対立はエスカレートしていき。。。
 私は途中までこの映画が、ひょっとしたら人が死なない
珍しい西部劇なのかと思いながら観ていました。
さすがに娯楽映画、そうは行かなかったのですが、
それは非暴力という理想の限界を表しているんでしょうか、
次の世代に新しい時代の変革を託してるんでしょうか。

 原題は"The Big Country"。
映画では広大な西部の風景が写りまさにビック・カントリーだと思わせますし、、
劇中でも何度か「ここはビック・カントリーだから」と誇らしげにテキサス人が言います。
その時マッケイは「海の方が大きい」とつぶやいて、その独善性を静かに揶揄するのです。
(実際、アメリカ内陸部では生涯一度も海を見ない人も少なくないそうで。
マッケイが元船長という設定が生きています。)

 西部劇全盛の1958年にこんな映画が
2時間46分の大作として作られたのはちょっと驚きでした。
スェーデン出身作家の小説を原作にしているそうですが、
ドイツからアメリカに移民してきたテイラー監督だから
冷静にアメリカ人の精神性を観ていて、原作小説に興味を持ったのかも知れません。
 午前10時の映画祭の西部劇を全部観ておいて
一番面白かったのがこんな西部劇らしくない西部劇という私も、
本当は西部劇が好きでなかったりして(笑)。
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by am-bivalence | 2011-10-15 01:45 | 人間ドラマ | Comments(0)

screen103 007/慰めの報酬

 本家ジェームズ・ボンドはジェイソン・ボーンになっってしまうのか  公式サイト

「クラッシュ」のポール・ハギスによる脚本で007シリーズに人間ドラマを持ち込み、
魅せてくれた新生ジェームズ・ボンド、
再びハギスの脚本で前作の続編として作られるとあれば、期待も高まろうというもの。
 でも、観てみると何か違う。。。

 アクションはそれなりに楽しめます。
「ボーン・アルティメイタム」「イーグル・アイ」のような速いカット割で、
付いて行くのが大変です。 頭がくらくらします(笑)。
でも、何か違う。。。

 いままでのボンドは機知を使って一発逆転、
危機を乗り越えていく痛快さがありました。
でも今回のボンド、反射神経とスピードで勝負、のようなところがあります。
予告編でも使われている車内で向けられた銃を払うシーンなど、その典型です。
それが"若き"ジェームズ・ボンドってことなのでしょうか。
独断専行、猪突猛進でMを困らせているのも、若さゆえ?。

 屋根の上をつたって逃亡するシーンなど、
なんだか「ボーン・アルティメイタム」を観ているみたいだなあ、と思ったら、
アクションシーンの撮影監督に「ボーン・アルティメイタム」の
撮影監督を起用しているそうです。
どおりで「ボーン・アルティメイタム」と同じ、
カメラが対象と一緒になって飛んでいくカットがあるはずです。
 ジェームズ・ボンドがシリアスでユーモアを無くしてしまうと、
ジェイソン・ボーンになってしまうんでしょうか。
 従来のパターンを破って新機軸を作るのは
なかなか大変なんですね。
                 (☆☆
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by am-bivalence | 2009-01-31 22:08 | アクション | Comments(0)
 青年の崇高な夢とその挫折を描いた、不朽の名作  公式サイト

 映画ファンなら誰でも、"生涯ベストワン映画"というものがあるのではないでしょうか。
"生涯"はちょっと大げさかもしれませんが、今まで観てきた中で
一番よかったと思う映画。。。私もあります。
 それがこの「アラビアのロレンス」です。

 映画「アラビアのロレンス」は、
T.E.ロレンスという実在の人物を描いた伝記映画であり、
砂漠の民を率いて戦った英雄物語であり、
第一次大戦での砂漠の戦闘を描いた戦争スペクタクル映画でもあります。
でも私は「アラビアのロレンス」は、"青春映画"だと思っています。
一人の青年が抱いた理想と夢、そしてその挫折を描いた青春映画だと。
(挫折する映画が好きだとは、我ながら屈折しているかとも思いますが(苦笑)。)

 ロレンスの描いた夢は、アラブ民族に自由と融和をもたらすことでした。
十字軍に傾倒し、若い頃から考古学調査で中東を巡り、
厳しくも美しい砂漠とそこに住む民に親しみを感じたロレンスは、
当時、大国に支配されていたアラブを独立させることに注力します。

厳しい自然の中で生きるベドウィンは、
砂漠で置き去りになった者は仕方なく見殺しにするしかなく、
部族間の争いも絶えず、殺人も厭いません。
 ロレンスはそんな現実に果敢に抗って、
砂漠に取り残された仲間を救出に行き、
部族抗争を抑えるために自ら手を下すことまでします。
潔癖なロレンスは、第一次大戦下の軍属でありながら流血を嫌っていたのですが。。。
 慕ってついてきた少年達を力及ばず砂漠で失った時には
少年のように心を痛めるロレンス。
(ただし、彼の反応は彼の別面も含めてであるのが後に分かってきます)
そんな人間像は「風の谷のナウシカ」のナウシカを見るようです。
(と言うより、ナウシカにロレンス像の影響が見えると思うのですが)

 ただこの映画のすごいところは、そこにとどまらず、
人間ロレンスを高潔な君子のままで終わらせなかったことです。
アカバ攻略までなら普通の英雄物語だったのですが、
映画は更にロレンスの複雑な内面に踏み込み、
そこからある種、普遍的な人間像も浮き出してみせるのです。

 例えば、映画最初でロレンスはベドウィンの案内人とこんな会話をします。
イギリスは肥えた土地に肥えた人々が住む国だと言うロレンスに対し、
ベドウィンが、でもあなたは太っていないと言うと、ロレンスはこう答えます。
 "No, I'm different.(そう、僕は違う)"
 何気ない会話ですが、
これはロレンスがちょっと変わり者である自分を自嘲しているとともに、
自分が人とは違う何者かなんだという、若者らしい気負いを
端的に表したセリフではないでしょうか。

(以降、ネタバレを意識せずに書いています。気にされる人は飛ばして下さい。)

 また映画冒頭ロレンスがやって見せる、火の着いたマッチ棒を持ち続けるという特技は、
私はロレンスの"精神は肉体の限界を超えられる"という信念を
表しているんじゃないかと思います。
これは映画後半で「水の上でも歩いてみせる」といった、
彼の超人願望とでも言うべき言動、行動に繋がっていきます。
それは異常さを通り越して、滑稽でさえあります。
 デラアでの事件で自分も普通の人間であると思い知らされた時、
その願望の反動が、彼が壊れていくきっかけにもなるのです。

 映画は更に彼の心の奥に潜んだ闇にも触れています。
部族間の争いを招いた部下を自ら処刑したことを、
後に彼はカイロで「処刑を楽しんでいた」と告白しているのです。
自分の奥底にある暴力性に戸惑うロレンス。
私にはそれは、彼固有の異常性ではなく、彼のイノセントさからくる、
自分にも本能的な暴力の衝動があったことへの恐れと思えるのです。
 高潔さと奥底にあるダークさ、自意識過剰、自己陶酔、
才気を自覚するがゆえの高慢さと、自身の全能感から起こす無謀な行動、
T.E.ロレンスという稀有で極端な人物像から、
一つの典型的な人間心理が浮かび上がってきます。

 ロレンスの挫折は内面的なものに加え、
社会の現実によって更に助長されていきます。
いつの間にか国家間の駆け引きに巻き込まれ、利用されるロレンス。
(このときのイギリスの二枚舌外交が後々の中東紛争につながっていく)
イギリスを差し置いてダマスカスに入城しても、
部族間のエゴを前にして、疲弊するロレンス。
 最後の戦闘では、「清潔だから」好きだった砂漠を血で穢し、
お気に入りの白い民族衣装を血まみれにするロレンスが痛ましいです。
 理想と現実の大きな壁(老獪な社会の壁)に挫折していく姿に、
年配の人なら60年代の学生運動を重ねたりするのではないでしょうか。

 「アラビアのロレンス」については、まだ語り尽くせませんが、
「アラビアのロレンス」は観るたびに別の見方ができて、新しい発見があります。
それはちょうど、優れた文学が読む年齢によって解釈が変わってくるように、
「アラビアのロレンス」も観る年齢によって見方が違ってくるようです。
名作です。
         (☆☆☆☆☆)
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by am-bivalence | 2008-12-25 23:57 | 人間ドラマ | Comments(0)
 可もなく不可もなく、家族で楽しめる娯楽活劇  公式サイト

 怪人二十面相、名探偵明智小五郎、小林少年に少年探偵団。。。懐かしいですね~。
私が小学校の頃はみんな一度は江戸川乱歩のジュブナイル小説を読んでいて、
これから推理小説ファンになった人も多いはずです。
 映画の予告編を観た時は、乱歩の原作を元にしているのかと思ったら、
北村想の原作があったんですね。私は読んでないですけど。
 北村想の原作を読んでいなくてもオリジナルの読者なら、
遠藤平吉という主人公らしからぬダサい名前を聞いて、
彼がどういう運命を辿るのか、想像がつくというものです。

 映画は北村想の原作を更にアレンジして架空の日本にしてあるそうです。
日本を極端な格差社会にしたのは、昨今の世相を反映しているというより、
社会が乱れていることで、本来悪である盗賊=二十面相に正当性を持たせる
という意味が大きいように見えます。
世相批判にしては、スラムやストリート・チルドレンの描き方がおざなりで、
リアリティがないんです。
 良い子のみなさん、本当は泥棒は犯罪ですからね。

 この映画は観ているといろいろな映画のシーンから、
イイトコ取りしてアレンジしたようなカットが多いのに気付きます。
冒頭、工業地帯を手前にオートジャイロが飛ぶ帝都の俯瞰は「ブレードランナー」。
クライマックスのワイヤーを駆使したアクションシーンは「スパイダーマン」。
途中、「ブルース・ブラザース」かと思うシーンもありますが、
一番多く連想したのは「ルパン三世 カリオストロの城」。
監督・脚本の佐藤嗣麻子氏は宮崎アニメのファンなのか、
「未来少年コナン」を思わせるようなシーンもあります。
そういえばヒロイン羽柴葉子も宮崎駿好みのキャラクターのような。。。
全体にキャラクターの描き方が漫画チックで、分かりやすい作りです。
 まあ、お正月に家族で楽しむにはちょうどいい映画ではないでしょうか。
                          (☆☆)
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by am-bivalence | 2008-12-22 23:46 | アクション | Comments(2)

screen80 ダークナイト

 これはもう正義と悪の戦いではない、理性と狂気の死闘  公式サイト
  
 「メメント」で、若手注目株とされたクリストファー・ノーラン監督、
やっと「メメント」に並ぶ代表作ができたようです。
シリーズ作の続編というものは、たいてい前作よりボルテージが落ちてしまうものですが、
「ダークナイト」は数少ない例外でした。
 バットマンをぎりぎりまで追いつめるジョーカーの狂気に、
最後まで目が離せません。

 前作以上にこだわったリアリティ描写は、
これまでのアメコミ映画の中では一番ではないでしょうか。
タイトルも、アメコミ映画のパターンであるヒーロー名を使うのではなく、
バットマンの二つ名というべき、「ダークナイト」だけにしたのも、
従来のアメコミ物とは一線を隔した現れのようです。

 ノーラン監督は毎回、心理的な要素をテーマにしてきますが、
今回出色なのは、ジョーカーの悪徳を通り越した狂気。
ヒース・レジャーが猫背と壊れたメイクで演じるジョーカーの病的なこと!
何をしでかすか分からないキャラクターは、
登場した途端、映画に異様な緊張感を生みます。
それは「レオン」でゲイリー・オールドマンが演じた悪徳刑事や、
「ノー・カントリー」ハビエル・バルデムの殺し屋を髣髴とさせる凄みがありました。
(以下ネタバレ)

 この狂気を伝染させようと、ジョーカーの仕掛けた罠は
精神を揺さぶる罠、"ジレンマ"でした。
バットマンが怒りと憎しみで理性を失いそうになる一歩手前で止まったのと対照的に、
"ホワイトナイト"デントは狂気に囚われてしまいます。
この辺り、フォースの暗黒面に落ちていくような(笑)。。。

 ただ最後の結末には、私はちょっと違和感を感じます。
影の戦士としての孤独感を表したかったのかもしれませんが、
大衆を愚とみなして事実を隠蔽し、英雄を仕立て上げるのは、
独裁者のような権力者のやる政治的手段。
影の存在とはいえ、ヒーローにはふさわしくないように感じてしまうのです。
 そういった面も含めて「ダークナイト」なのかもしれませんが。
                               (☆☆☆)
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by am-bivalence | 2008-08-28 23:44 | アクション | Comments(4)
 観ておきながら感想を上げていなかったものを、
少しでも簡単に書いておこうと思います。

screen73 スピードレーサー  公式サイト

 言わずと知れた初期タツノコ・アニメの名作「マッハGoGoGo」のハリウッド実写化。
(「スピードレーサー」は「マッハGoGoGo」のアメリカ放映時タイトル)
 ウォシャウスキー兄弟は、今観るとかなり無理のある
「スピードレーサー」のカー・レースの世界観を
(なにせ、「マッハGoGoGo」の製作スタッフは誰も車の免許を持っていなかったらしい)
近未来という設定にして、ずいぶん忠実に再現しています。
キャストも主役以外はオリジナルのキャラクターによく似せています。(特にお父さん!)
 ただ、色彩が見ていると目がチカチカするぐらい、ケバイ。
これはアメコミ調というより、テレビゲーム調でしょうか。
CGフル活用のレースシーンなどは、まさにテレビゲーム画面といった雰囲気。

 映画前半で、主人公が信じていたレース界が、
全く違った面を持った裏があることが明らかになるのですが、
このあたり、「マトリックス」の世界観を連想させて、
ウォシャウスキー兄弟らしいアレンジ、と言えるかもしれません。
そして個人の意思がそんな世界を変えていくという点も。

 それにしてもマッハ号のデザインは今見ても古さを感じさず、カッコイイ!
レーシングカーが最も美しかった60年代に作られただけあります。
 エンドタイトルに日本語のオリジナル主題歌が流れるのも、
オールドファンには感涙物でした。
                        (☆☆)


screen74 ミラクル7号  公式サイト

 「カンフーハッスル」の単純明快な勧善懲悪、マンガそのものの映像表現、
良い意味で予想を裏切る大ボラ吹きなストーリー展開で、
すっかりチャウ・シンチー監督が好きになり、観に行った映画です。

 ただ、チャウ・シンチーの「少林サッカー」「カンフーハッスル」とは毛色が異なり、
「ミラクル7号」はカンフーを見せるわけではありません。
「ドラえもん」や「オバQ」のように、主人公と同じ小学生位の世代に向けて作った映画です。
小学生が喜びそうな、うんちネタのギャグがある点などもそのためでしょう。

 しかし「ビンボーでも実直に生きれば尊敬される」と直球に言い切ってしまうなんて、
今時、チャウ・シンチーでなければ表現できません(笑)。
 単純明快なストーリーで、途中で展開が見えてしまいますが、
クライマックスはほろりとさせられて、意外?と感動させてくれます。
子供と安心して観にいけるという意味では、
ジブリアニメと並んで貴重な存在ではないでしょうか。
                        (☆☆)
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by am-bivalence | 2008-07-20 00:19 | ファンタジー | Comments(0)
 冒険活劇の先駆、インディ・シリーズの新作を観れた幸福を喜ぶべき 公式サイト

 ダイハード、ロッキー、ランボーと、
往年の人気シリーズの新作が続いていますが、
ついに大御所登場です。
 いや~、予告編のレイダース・マーチや鞭の音を聞いて、
ワクワクしていました。

 今回の主な舞台は南米。
これまで同様、テンポ良くアクションが進んでいきます。
オカッパ頭のケイト・ブランシェットがなかなかカッコイイです。
 しかし評判は今ひとつ。。。
やはり、リアルタイムでこのシリーズを観てきた人には、
ルーカス、スピルバーグのネームバリューもあって
期待し過ぎちゃうんですよねえ。

 確かに今時の娯楽映画としては凡庸かもしれません。
でも、旧三作をテレビで見ていて思いました。
 昔もこんなものだったじゃない?

ばっさりと話の経過を省略してしまう展開、
アリエネ~と突っ込みたくなるような奇抜なアイディア、
この、物語の整合性よりもテンポ、
リアリティよりもビジュアル・インパクトを優先させる手法は
昔と変わっていないのです。
それはルーカスが復権しようとした冒険活劇の手法でした。
このエンタテイメントの面白さが、ハリウッド映画の流れを変え、
主流となっていったのです。
その結果、幾多の活劇が作られ、より観客を楽しませようと
あの手この手の仕掛けが練られていきました。
 インディ・ジョーンズの新作は
冒険活劇の老舗の暖簾に胡坐をかいたわけではなく、
客の舌が肥えてしまったのでしょう。

 「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」は、
ルーカス、スピルバーグというオリジナルのコンビで、
ハリソン・フォードでなければ演じられないインディ・ジョーンズというキャラクターを
再度見せてくれたことを喜ぶべきです。
言ってみれば、王、長嶋がペナントレースに復帰したようなもの。
ジーコ、マラドーナが再度グランドでボールを追いかけるようなもの。
セナが蘇って、プロストとモナコを走るようなもの。
 多くの映画ファンが、インディ復活の夢が叶ったことをスクリーンで確認して、
ある種の感慨を持ってしまうんじゃないでしょうか。
                 (☆☆)

 *書くのがちょっと負担になってきました。少し休みます。
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by am-bivalence | 2008-06-28 00:11 | アクション | Comments(4)