劇場で観た映画の覚え書き


by am-bivalence
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いかにもありそうな家族の形に、自身を投影してしまう小品  公式サイト

 「人生は、いつもちょっとだけ間にあわない」
まずこのコピーに、グッときました(笑)。

 兄の命日に集まった家族の2日間を淡々と描いたこの映画、
ドラマチックな展開があるわけでもなく、ごく日常的風景を追っているんですが、
会話の面白さもあって、2時間飽きさせませんでした。
 派手なアクションがあっても途中で眠くなるような映画があるなか、
これはちょっとすごいことかも知れません。

 出演者が樹木希林、原田芳雄、阿部寛、YOUと、個性の強い役者ぞろいで、
劇中の人物を見るというより、
演じている樹木希林、YOUを見ているように思えてしまうんですが、
とてもありがちな家族関係には、つい自分の家族を重ね合わせて観てしまいます。

 誰もが胸に何かしら隠しているのですが、
たまに本音を吐露しても、誰も聞いていなかったり、
途中で遮られたりして中途半端に終わってしまう可笑しさ、哀しさ。
このすれ違いが妙にリアリティーを感じさせます。

 この家族に影を落としているのが、事故で亡くなった兄。
できの良かった兄といつも比較されて鬱屈した弟、
そのせいもあって反発し合う父子。
普段は闊達で普通に振舞っている母も、
実は心の奥底で息子を亡くした喪失感を一番重く抱えていることが
次第に明らかになってきます。
残酷なことを笑みを浮かべながら冷静に語る母親がちょっと恐ろしく、
心の闇の深さを感じさせます。
 既にないもの、過ぎ去ったものに縛られているのは、
人間、案外多いんじゃないでしょうか。
それを"家族の歴史"、"人の歴史"というのでしょうけど。

 過去の延長上に生きているのは、この親子だけではありません。
弟の結婚した相手は子持ちの再婚者で、亡くなった前夫との息子の間には
前夫を含めた関係がまだ息づいているのです。
この関係の中にいずれ現夫である弟が溶け込んでくるであろうことが語られます。
 そうか、家族って"あるもの"じゃなくて、
"築いていくもの"だったんだと、改めて気付かされました。

わっと感動したり、ジーンと胸が熱くなって涙するような映画ではないんですが、
後からじわじわと効いてくる、ボディブローのような映画でした。
                            (☆☆☆)
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by am-bivalence | 2008-11-23 00:24 | 人間ドラマ | Comments(0)

screen89 おくりびと

 抑え目の演出が好感持てる良品  公式サイト

 今は自動車道ができて無くなってしまいましたが、
昔、母の実家には、裏の畑に先祖代々の墓地があって、
盆の法事などは、裏の畑まで親族一同が歩いていって焼香していました。
居間には仏壇がって、鴨居には亡くなった祖父、祖母の遺影が飾ってありました。
昔の日本には「死」は日常生活と裏腹にあって、溶け込んでいたように思います。

 でも現代の都市はどうでしょうか。
近所に葬斎場の計画が持ち上がると、周辺住民が猛反対したりします。
今の街は 快楽原則で出来ていて、
「死」のように不安・不快を感じさせるものは、慎重に拭い去られ、
極力排除しているように思うのです。

 「おくりびと」では納棺師という職業に就いた主人公が
その職業が原因で蔑まれたり、妻に出て行かれる描写があります。
 "人の不幸を商売にしている"、と思われるからかもしれませんが、
職業への偏見が生まれる一因には、現代の日常が快適優先で出来ていて、
「死」は忌むべきものであり、無意識に避けていることにもあるような気がしてなりません。
「メメント・モリ」って言葉が古代からあるように、誰でもいつかは死んじゃうんですけど。

 納棺師という職業があるとは知りませんでしたが、
映画パンフレットによると、どんな葬儀にでも存在するわけではなく、
地域、宗派によって遺体の扱いはいろいろなようです。
葬儀社によっては納棺の儀式がないような場合もあるとか。

 この映画を観ると 納棺師とは、
死者へ敬意を払い、遺体を辱めずに尊厳を守って、
厳かに親しい人との別れを演出する職業のように思えてきます。
まさに「安らかな旅立ちのお手伝い」。
 実際は主人公の最初の仕事のように、いろいろな遺体を扱うのでしょうから、
かなり泥臭い、大変な仕事なんでしょうけれども。

 映画としての「おくりびと」は、観ていると、
「お葬式」、「マルサの女」といった、かつての伊丹映画や、
「それでも僕はやってない」の周防監督の映画を連想させます。
知られざる仕事にスポットを当て、ハウツー的なものを盛り込んだ点です。
食事のシーンなどは、「ひまわり」での描写を思い出します。

 分かりやすいストーリーで、
伏線からこうなるんじゃないかという期待通りに展開するドラマは、
登場人物たちの感情の変化もほぼ自然な感じで、
すんなり受け入れられました。
 葬式という愁嘆場が舞台になるので、深刻になりがちな部分を
ユーモアで和らげています。
そして、この映画は基本的にハッピーエンドで、完全な悪人が出てきません。
 分りやすいプロットとユーモア、見終わってほっとしたような気持ちになれる、
そんな点が海外でも受け入れられたんじゃないでしょうか。

映画の中で
「生き物は生き物を食って生きている」
という台詞がありました。
 これって、もっと言ってしまえば、
”全ての生き物はいつか食べられるために生きている”
じゃないでしょうか。
 食物連鎖の頂点に立つとされる肉食獣も、
死ねばウジや微生物の餌になって分解され、次の命になります。
人が火葬されても、できた二酸化炭素はいつか植物に取り込まれ、
生命のサイクルに戻ります。
 我々が自分自身と思っている肉体さえも、
いつかは分解され、別のものになっていくのです。
 この世界にいつまでも自分のものというものは一つもなく、
全ては借り物なんです。

そう考えると、いろいろな物を所有しようとするって、
ばかばかしく思えないでしょうか?
                (☆☆☆)
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by am-bivalence | 2008-11-10 21:33 | 人間ドラマ | Comments(0)
 青年の行動に、今の若者はどこまで共感できるだろうか  公式サイト

 今回は、映画の感想というより原作の話が主になっています。
私的なことも混じり、かなり長文になってしまっているので、
映画情報を期待している方は、飛ばされたほうが賢明です。
 いきなりネタバレしていますし。。。

(以下ネタバレ)
 昨年の5月連休、私は一人、上高地でキャンプして過ごしながら、
一冊の本を読んでいました。
 アラスカの原野で腐乱死体で発見された青年が、どうしてそこにやって来たのか、
そこに来るまで何をしてきたのかを追ったノンフィクションです。

 最初この本を手にしたのは、放浪の果てに荒野でたった一人で野垂れ死ぬという、
異様な状況に興味を引かれてでした。
 私自身、その時一人でキャンプしていたように、
単独で山に登ったり旅行したりといったことをよくするので、
単独行での遭難や、事故には無関心でいられなかったのです。
 本を読んでいくと、青年がアラスカにたどり着くまでの経緯もさることながら、
明かされていく青年=クリスの人物像に
こんな人が実在したのかと驚かされ、惹かれていきました。

 クリスは比較的裕福な家庭で育ち、学業も優秀でした。
彼は誰にも好かれる好青年だったようです。
高校の頃はホームレス支援のボランティアをしたりする、
純粋で正義感の強いところがありました。
自分でこうと決めたら人のいうことを聞かない、頑固な面もあったようです。

 そんなクリスが大学を卒業すると失踪し、放浪の旅を始めたのは、
父親の不義を知ったことが大きく影響していました。
父親には別に妻がいて、彼には異母弟がいたのです。 
それが自分という存在そのものも揺るがしたのでしょうか。

 彼は労働を嫌っていたわけではなく、
人の嫌がる農場の重労働も進んでやっていたそうです。
ただ規則に縛られず、自由に行動するのを好みました。
 放浪の間、社会からはみ出した生き方をしている人々と知り合い、
より自由を求めて自然の中に入り、独学でサバイバル術を身に付けていきます。
そして、"その土地の与えてくれるものだけで生きよう"と
アラスカの荒野へ踏み込んで行くことになるのです。

 冒険、社会の中での生き方、いろいろ考えさせられるノンフィクションでしたが、
巻末の解説にショーン・ペンが映画化を企画しているとあったのを見て、
映画が日本で公開されたら観にいこうと決めていました。
 本のタイトルは「荒野へ」。映画「イントゥ・ザ・ワイルド」の原作です。

 映画に出てくるエピソードは原作にほぼ忠実です。
原作者は単独行をする登山家で、
原作では単独行の冒険でのリスクということの考察もあったのですが、
映画では放浪中に出会う人々との関わりや、
彼を放浪に駆り立てるものに重点が置かれています。

 映画では青年が流浪する理由を、
"真理"の探求とか、物質文明への反発のようにも描いていますが、
実際は家族を欺いていた両親への反発、
誰にも頼りたくないという独立心が根本にあって、
先鋭化していったのだと思います。
 紙幣やカードを燃やして自ら無一文になり、本名を捨てるのも、
物質文明への反発というより、親の資産に頼りたくないという独立心であり、
アラスカの無人の荒野を目指すのも、誰もいない場所で
誰にも頼らず一人で生き抜いてみたいことの現れでしょう。
 クリスの行動に、私は「火垂るの墓」の少年を思い出しました。
「火垂るの墓」の主人公は戦争という非常事態の中、親を亡くしますが、
親戚に頼りたくなくて無謀にも自分たちだけで生きようとし、悲劇の道を辿ります。
クリスの行動がある面青臭く、無謀に見えるのも
似たような稚拙な行動にも思えてしまうからでしょう。

 一方で、自然の中に帰って自然から得られるもので生きるというのは、
「ブラザー・サン シスター・ムーン」の聖フランチェスコも連想させます。
フランチェスコが野の小鳥を見て、彼らのように着飾らず、
自然の恵みだけで生きられたらと願い、出家する姿とも重なるのです。
クリスが一途な冒険者であるとともに、求道的に見えるのも、
そこに思想家のような姿勢があるからなんでしょう。

 ともあれ、クリスが彷徨し、見た風景、場所を
実際にスクリーンで見れたのは嬉しいことでした。
 主演のエミール・ハーシュは、「スピードレーサー」ではパッとしなかったのですが、
この映画では主人公のクリスを魅力的に演じています。

 最後に出会う老人とのエピソードは、原作では後日談があって、
クリスの死を知った老人の想いが胸を締め付けました。
ここは原作でも、最も印象的なエピソードなので、
是非、原作を読んで確かめて欲しいと思います。
                       (☆☆)
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by am-bivalence | 2008-09-19 23:40 | 人間ドラマ | Comments(2)

screen80 ダークナイト

 これはもう正義と悪の戦いではない、理性と狂気の死闘  公式サイト
  
 「メメント」で、若手注目株とされたクリストファー・ノーラン監督、
やっと「メメント」に並ぶ代表作ができたようです。
シリーズ作の続編というものは、たいてい前作よりボルテージが落ちてしまうものですが、
「ダークナイト」は数少ない例外でした。
 バットマンをぎりぎりまで追いつめるジョーカーの狂気に、
最後まで目が離せません。

 前作以上にこだわったリアリティ描写は、
これまでのアメコミ映画の中では一番ではないでしょうか。
タイトルも、アメコミ映画のパターンであるヒーロー名を使うのではなく、
バットマンの二つ名というべき、「ダークナイト」だけにしたのも、
従来のアメコミ物とは一線を隔した現れのようです。

 ノーラン監督は毎回、心理的な要素をテーマにしてきますが、
今回出色なのは、ジョーカーの悪徳を通り越した狂気。
ヒース・レジャーが猫背と壊れたメイクで演じるジョーカーの病的なこと!
何をしでかすか分からないキャラクターは、
登場した途端、映画に異様な緊張感を生みます。
それは「レオン」でゲイリー・オールドマンが演じた悪徳刑事や、
「ノー・カントリー」ハビエル・バルデムの殺し屋を髣髴とさせる凄みがありました。
(以下ネタバレ)

 この狂気を伝染させようと、ジョーカーの仕掛けた罠は
精神を揺さぶる罠、"ジレンマ"でした。
バットマンが怒りと憎しみで理性を失いそうになる一歩手前で止まったのと対照的に、
"ホワイトナイト"デントは狂気に囚われてしまいます。
この辺り、フォースの暗黒面に落ちていくような(笑)。。。

 ただ最後の結末には、私はちょっと違和感を感じます。
影の戦士としての孤独感を表したかったのかもしれませんが、
大衆を愚とみなして事実を隠蔽し、英雄を仕立て上げるのは、
独裁者のような権力者のやる政治的手段。
影の存在とはいえ、ヒーローにはふさわしくないように感じてしまうのです。
 そういった面も含めて「ダークナイト」なのかもしれませんが。
                               (☆☆☆)
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by am-bivalence | 2008-08-28 23:44 | アクション | Comments(4)
 フェアトレードの必要性を見せてくれるドキュメンタリー 公式サイト

 1杯330円のコーヒーのうち、コーヒー農家の取り分は3~9円。。。
これを聞くと驚くでしょうか。
公式サイトのトップにはそんな図が出てきます。
映画パンフレット添付の注意書きによると、
これはイギリスの公式サイトからの転載で、
日本の場合はちょっと違い、
東京では、コーヒー一杯の平均価格は419円、
うち、コーヒー農家の取り分は1.7円(0.4%)と、更に少なくなっています。
コーヒー輸出入業者部分が8.7%、残りが喫茶店の分です。
 ただ、これは1998~99年の調査で、2002~2003年のコーヒー危機では
コーヒー価格の0.1%=0.42円程度と、もっと低下したそうです。

 コーヒーの材料原価率が10%程度なのは、
飲食業ならばそんなものかな、と思います。
コーヒー農家の売り上げは、為替レート差があるので、
円で考える感覚とは違うと思いますが、
映画の中で採算が取れずにコーヒー栽培を止める農家が増えているのを見ると、
やはり安すぎるのでしょう。
 (映画でコーヒー栽培の代わりにチャットという
麻薬栽培をする農家が増えているとありましたが、
チャットを麻薬とするのは、やや違和感があるようです。
 エチオピアでは覚醒作用のある一般的嗜好品のようなものらしく、
何時間か噛んで、ほんのり効果が表れる程度で、依存性はないようです。
南米のコカの葉や、噛みタバコのようなものでしょうか。)

 映画の原題は"BLACK GOLD"。これ、もともと石油の比喩らしいんですが。。。
映画はエチオピアのコーヒー農協のブローカーが
コーヒーをもっと高く買ってもらおうとする活動を中心に、
エチオピアのコーヒー栽培の実情を追っています。
 映画でエチオピアの窮状は解るのですが、
アンフェアな貿易システムでコーヒー栽培者が搾取される構造は
もうひとつよく見えてきません。
結局、生産者とは全く関連ないニューヨークやロンドンの先物市場で、
投機的動きで価格が決定してしまうところに根があるようです。

 この映画の示す問題が行き着くところは、フェアトレードです。
途上国からの搾取的交易を是正し、共存共栄を目指す、
フェアトレードというムーブメントはヨーロッパで始まったそうです。
その歴史は意外と古いんですが、私が知ったのは5~6年前でした。
フェアトレードの理念は解るのですが、
ではどうやって価格を決めるのか、
保護貿易に繋がっていかないかと疑問に思ってました。
 しかし映画で、コーヒー生産者の苦しい生活や、
飢餓と隣り合わせで食料支援で暮らしているエチオピアの実態を知ると、
フェアトレードの必要性を痛感します。

 フェアトレード活動が行われているのはコーヒーだけではありません。
チョコレートのカカオ、綿など、いろいろあります。
そういったことを知らしめ、考えさせてくれるのには意義のある映画でした。
                              (☆☆☆)
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by am-bivalence | 2008-06-22 21:54 | ドキュメンタリー | Comments(0)

screen70 ヒトラーの贋札

 重い史実にフィクションを加えエンターテイメントにしたサスペンス 公式サイト

 (以下、ネタバレ)
 この映画はエンドタイトルの最後で原作者について触れています。
事前になにも情報を持たずに観ていたので、
その名前を見てちょっと驚きました。
原作者が映画の主人公で好意的に描かれていたサリーでなく、
収容所でトラブルメーカーになっていたブルガーだったからです。

 この映画は、実際に収容所で贋札造りに加担させられた
ブルガーの体験記を基にしていますが、
いろいろ映画的にフィクションを加えているようです。
原作を読んでいないので、詳しくは分かりませんが、
映画プログラムにブルガーのインタビューが載っていて、
その中でフィクションの部分について触れられています。
 インタビューを読むと、映画は基本的に史実ですが、
収容所内のエピソードの幾つかはフィクションであるのがわかります。
 実際のブルガーは映画で描かれたように
あからさまに抵抗したわけではないそうで、
そんなことをしたら、すぐ殺されていたと語っています。
 この辺りに、映画の意図が伺えます。
自分達が生き延びる事と、贋札によってナチに協力することの
ジレンマを強調したかったのでしょうが、
実際の収容所生活は、偽造がナチへの協力になることが分かっていても、
生き残ることに懸命で、悩む余地はなかったのでしょう。

 また、収容所を解放したのはアメリカ軍だったそうで、
ドイツの敗戦にまぎれてユダヤ人収容者が蜂起するのもフィクションのようです。
自分達がユダヤ人である証拠に識別番号の刺青を示すのも
うまい演出、ということでしょう。
 ナチ支配下では非協力的なブルガーが
仲間を危険に曝していると非難されていたのに、
開放後はナチに抵抗した勇士として祭り上げられるのも、
戦後の混乱や人間の変わり身をよく現しているように思います。
 史実にフィクションをブレンドして、サスペンスフルな映画として観せてくれました。
                                  (☆☆☆)
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by am-bivalence | 2008-06-21 17:39 | 人間ドラマ | Comments(0)
 目的のためにはプライドも捨てる男の執念と孤独  公式サイト

 昔、「ダラス」ってアメリカTVドラマがありました。
テキサスの石油王一家内での愛憎劇なんですが、
一家の中心となる男、JRのワルぶりが売りでした。
と言いながら、私はほとんど観たことなかったんですけど。。。(^^;
石油業界では、JRのような強引な男はさほど珍しくないようです。

 石油採掘は利権と巨額の資金が動く、生き馬の目を抜くビジネス。
かなりアクの強いツワモノ達がひしめいているらしいです。
そういえば、「アルマゲドン」で彗星を破壊しに行く男達も石油掘削業の荒くれでした。
 だから、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」の主人公ダニエル・ブレインヴューが
強欲ぶりが喧伝されても、それほど意外性はありませんでした。
ましてブレインヴューは、石油の前に金を掘っていた正真正銘の山師であり、
成功への執念が人一倍強くても不思議ではありません。

 しかし宣伝ではダニエル・ブレインヴューが欲にかられて
人間性が変わっていくような印象を受けますが、
実際に映画を観ると、私にはブレインヴューが自分を見失っていくような
物語には見えませんでした。

 確かにブレインヴューは強引で、時に気性の荒さを見せます。
目的のためにはプライドさえ捨てる執念を持っています。
でも彼のスタンスは最初から一貫していて変わることがなく、
意外にもマトモな人間に見えるのです。
特にダニエル・デイ=ルイスが演じると、飄々としたキャラクターが付加して、
とんでもないことをしても、どこか憎めない男のように感じてしまいます。
(私は彼を見て、無責任男の植木等を連想してしまいました。)

 それに、掘削中の事故で耳が聞こえなくなった息子を、
ブレインヴューが冷酷に見捨てるように言われていますが、
劇中、最初に裏切ったのは息子の方です。
気性の激しいブレインヴューにしてみれば、
精神的に錯乱していたとしても、愛する身内の背信行為が
許せなかったのは当然でしょう。
 これは腹違いの弟を名乗る男に対しても同様で、
裏切られたと判れば、彼は言った通りの報復をしたのです。

 ブレインヴューは自分の欲望にとり付かれ、他人を全く信じなくなった男ではなく、
むしろ、信頼できる身内を欲して裏切られた、孤独な男に見えてくるのです。
その孤独は「ジャイアンツ」の石油成金、ジェット・リンクにも共通したものでした。
                               (☆☆)
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by am-bivalence | 2008-06-06 21:53 | 人間ドラマ | Comments(0)

screen62 つぐない

 最後につぐないの意味を考えさせられる 公式サイト

 このところベストセラー小説の映画化作品ばかり観ていますが、
この映画は原作を読んでいません。
でも本作は映画最後のどんでん返しが秀逸と評判だったので、観てみました。
 以下、ネタバレしないように書きますが、
観ていない人には何を言っているのか分からないかも。。。
(って、いつものことか)

 確かに映画最後に、この物語のある意外な真相が明かされ、
”つぐない”とは何だったのか、本当の意味が判ります。
映画の冒頭から響いているタイプの音は
そういうことだったのかと、納得しました。

 このどんでん返し、素直に受け止めれば
ああそうだったのかと、感動できるでしょう。
償いようの無くなった過去を贖罪する手段としては、
こんな方法しかなかったかも知れません。

 でも、と、疑問がもたげてきます。
これが本当に贖罪になるのかどうか。
ひねくれた見方をすれば、
これは自身の罪でさえも作品の糧にしてしまったとも取れます。
償えない罪を償うというジレンマ、
この解はそう簡単には出ないようです。

 また、映像的にはあまり評判の良くない戦場のシーン、
確かに作品のテーマにはあまり関連ないシーンですが、
5分以上の長回しシーンは実験的で面白く、
私はそれなりに楽しめました。

戦場の長回しシーンといえば印象的だったのが
「トゥモロー・ワールド」でしたが、
「トゥモロー・ワールド」が戦場を体感させてくれたのに対し、
本作は打ち上げられた帆船や、観覧車など
戦場とは思えない風景が超現実的で、
幻想的で混沌とした世界に踏み込んだ感覚を受けました。
                   (☆☆☆)
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by am-bivalence | 2008-05-01 00:01 | 人間ドラマ | Comments(2)
 ラストのピアノ演奏がこの映画のアイデンティティー 公式サイト

 ピアニストを扱った映画はこれまでも幾つか観てるんですが、
実話を元にした「シャイン」や「戦場のピアニスト」が秀作だったのに対し、
完全なフィクションの「海の上のピアニスト」は
映像・イメージ先行で、リアリティーを度外視した分"作り物"感があって、
私としてはもう一つ入っていけない映画でした。
 ピアノを弾けない者にとってピアニストというのは
神がかり的な、何か崇高なものを内に秘めているように
イメージさせてしまうのでしょうか。
 監督のイメージから生まれたこの「4分間のピアニスト」にも、
そんな"作り物"感を感じてしまいます。

 リアリティーがないというのではありません。
ピアノ教師と囚人となっているピアニストの抱えているトラウマは
彼女らの人生、姿勢に大きく影響していますが、
お互いにそれを知ったからといって和解しあうわけでもありません。
彼女らのの関係はあくまで平行線です。
人間、そう簡単には変わらないのです。それが現実。
ハリウッド映画にはない、ヨーロッパ映画らしい描き方です。

 それでも、彼女らのトラウマが深刻過ぎて現実味がないのか、
どこか描写が表層的なのか、
”作り物のドラマを観ている”感を持ってしまうのです。

 ただ、映画のタイトルにもなっているラスト4分間のピアノ演奏、
このシーンは人によって賛否が分かれるようですが、
ここにこの映画のアイデンティティーが凝縮されていて、
私は良かったと思います。

(以下、ネタバレ)

 クライマックスの演奏はピアノ演奏という概念を超えた、自由奔放なものでした。
それはジェニーの自由の表現だったように思います。
ピアニストとして再起させようと裏で画策する養父への反発、
クラシック以外は低俗な音楽と決め付けて、
自分の型にはめようとするクリューガーへの反抗、
そういった想いを込めて、自分を解放するための演奏でした。

自由な精神を囚人が表現するというアイロニーも、
面白いんじゃないでしょうか。
           (☆☆)
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by am-bivalence | 2007-12-05 22:36 | 人間ドラマ | Comments(4)
 こじんまりとまとまってしまう、サスペンス映画 公式サイト

 私はボーン・シリーズを今まで劇場で観たことがありませんでした。
マット・デイモンという俳優が、あまり好みでないからです。
名作「太陽がいっぱい」のリメイク「リプリー」でのマット・デイモンが、
私にはどうしてもジミー大西に見えてしまうのでした。
マット・デイモン自身はハーバード大に入学した秀才だそうですが。
 今回、前2作がテレビで放送されていたこともあり、
予習してから観てきました。

 ジェイソン・ボーンって名前、どう見てもジェームズ・ボンドのもじりですよね?
イアン・フレミングはジェームズ・ボンドを
スパイらしく目立たない平凡な名前として名付けたらしいですが、
今や世界中に知れ渡ってしまいました。
 平凡で目立たないという意味では、
マット・デイモンの容姿はスパイ、暗殺者向きなんでしょう。
(決して今回、マット・デイモンファンに喧嘩を売ろうとしている訳ではありません)
ボーンシリーズが007と大きく違うのは、リアルでシリアスな点です。

 ジェイソン・ボーン、今回もCIAの元上司に追われる羽目になります。
抹殺されそうになるたび、上司を倒してきたのに、
いったい何人上司がいたんだ?といった展開です。
ストーリーのパターンが3作とも同じというのも芸がない。。。

 ボーンの頭脳的な行動、アクションは確かに良く出来ていて、
観ていて引き込まれます。
しかしパリの駅や、モロッコでのクライマックスを盛り上げているのは、
アクションというより、暗殺者に追われるサスペンスであって、
この面白さはサスペンス映画そのものです。

 ボーン・シリーズはどれもそんな感じがするのですが、
結末の収束させ方が想定内で大きなひねりもなく、無難にまとまってしまうので、
観終わった後、大きな印象が残らないのでした。
                               (☆☆)
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by am-bivalence | 2007-11-23 09:31 | サスペンス・スリラー | Comments(0)