劇場で観た映画の覚え書き


by am-bivalence
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 悲劇か、ハッピーエンドか、
   ファンタジーを信じられるかで解釈が全く違う
  公式サイト

 スペイン内戦と聞くと、私はある種の感慨を持ってしまいます。
高校の頃、ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」や、
写真家ロバート・キャパの「ちょっとピンボケ」を読んで興味を持ち、
スペイン内戦とは何だったのか、歴史を調べてみたことがあったからです。

 スペインは昔から政情が不安定で、内戦を繰り返しているんですが、
フランコ反乱による内戦は、いわばファシズムと反ファシズムの
第二次大戦前哨戦でした。
世界中から集まった義勇兵の善戦も空しく、
内戦はファシズムの勝利で終わります。
 それは、世界には不条理なことがたくさんあって、
正しい者が必ずしも報われるわけではないことを示した、一つの例でした。

 第二次大戦中のスペインという、
死が身近にありふれていた時代を背景にしたこの映画ほど、
現実と空想の世界の関連を描いたものは、珍しいのではないのでしょうか。
現実からの逃避と見られがちなファンタジーの側面を、
直接的に問いかけているのです。

(以下、ネタバレアリ)

 過酷な現実の中で、夢の世界へ入り込むオフェイリア。
嘘と苦痛の無い魔法の国に行くというのは、
本当に現実逃避として生み出されたものだったんでしょうか。
 着たくないドレスを汚したり、食事を抜かれた後に
迷宮内で御馳走に出会うのは、現実の意趣返しのように見えますが、
迷宮での体験は決して現実より心地良いものではありません。
最後の試練でも、オフェイリアが本当に逃げ出したいと思っていたなら、
弟を犠牲にしたのではないでしょうか。

 またオフェイリアは、マンドラゴラの根で母親を助けようとします。
それは成功したように見えましたが、
空想を受け入れるゆとりのない母親達によって
彼女の願いは砕かれてしまいます。
オフェイリアのファンタジーは現実を救いたかったとも思えるのです。
無力な幼い少女にとって、現実を変えるには
空想しかなかったのではないでしょうか。

 ラスト、オフェイリアの死は、他人には悲劇にしか見えませんが、
オフェイリア自身は幸福感に包まれて死んでいくのが救いでした。
それこそがファンタジーの力なんでしょうか。
 彼女の死を悲劇と見るか、ハッピーエンドと見るかは、
彼女の見た魔法世界の存在を信じるかどうかで分かれると思います。

 フランコのファシスト政権は、ドイツ、イタリア、日本が敗れ
大戦が終了した後も30年以上続きます。
映画では市民兵側が一旦勝利したように描かれていますが、
実際の彼らの運命は、その後も過酷だったはずです。
                          (☆☆☆)
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by am-bivalence | 2007-10-14 13:58 | ファンタジー | Comments(2)
 切ない、やるせない、そしてなぜか爽やかな秀作ミステリー  公式サイト

  この映画、予告編とタイトルでコメディと勘違いされやすく、損をしているようです。
私も「転校生 さよならあなた」を観たとき、初めて予告編を観たのですが、
てっきりコメディだと思っていました。
 実際、前半はコメディタッチの部分もあり、
濱田 岳演じる椎名の能天気さが可笑しいのですが、
後半はシリアスな展開で、真相が明らかになるにつれ、
切ない思いにさせる物語でした。
 変則的なミステリー形式なので、詳細は"ネタバレ・バリアー"後に書きますが、
映画としては反則すれすれの部分があって、
人によって、それが受け入れられないかもしれません。
ただ、私にはそれほど気にならず、
むしろ気持ちよくだまされました。

 三題噺のようなタイトル、「アヒルと鴨のコインロッカー」にも、
「神さま、この話だけは見ないでほしい。」という謎めいたコピーにも、
「広辞苑」を盗むつもりが「広辞林」だったというギャグ?にも、それぞれ意味があって、 
それが解った時の、ジグゾーパズルのピースがはまったような面白さ。
と同時に、切なさも感じさせるのが秀逸です。

 冒頭、ボブディランを口ずさむ椎名に河崎が
初めて声をかけるシーンがありますが、
ラスト近くでも同じシーンが出てくるのに
全く違う感情を持って観てしまうのが見事です。

 ブータンの留学生ドルジと、恋仲になる琴美、
琴美の元カレの河崎の三人の関係が良いです。
彼らのたどる運命はやるせないですが、
なぜか観終わった後、ちょっと爽やかさや温かさも残すのは
ドルジの一途さと、椎名の純朴さのおかげでしょうか。
 この映画、私的には今年のベストワンかも?
                   (☆☆☆☆)

 (以下ネタバレ疑問)
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by am-bivalence | 2007-09-02 23:20 | ミステリー | Comments(4)
 前半「夕凪の街」は佳作だが、後半「桜の国」は消化不良  公式サイト

 映画は前半「夕凪の街」と、後半「桜の国」の2部構成。
「夕凪の街」は原爆投下後、13年経った広島を舞台に
"原爆スラム"と呼ばれるバラック街で慎ましく生きる女性、
皆実が主人公です。
 夕方の土手を、靴を脱いで裸足で歩く姿が心地良さそうですが、
それも実は靴をすり減らさないためだったりします。
映画はクラシックとも見えるオーソドックスな演出で、
淡々と皆実の日々を追っていきます。

 この物語は彼女が受けた原爆症よりも、
被爆体験によるトラウマに焦点をあてています。
今でこそPTSDは知られていますが、当時はそんな
メンタルな問題は認識されていなかったでしょう。
原爆症以上に理解され難い苦しみを、皆実はずっと内に秘めています。

 皆実が苦しまされるのは、自分が生き残っている事への負い目で、
"誰かに死んで欲しいと思われたのに生きてる"
という言葉が胸につまります。
 皆実親子の銭湯での場面、銭湯にいる人たちの多くが
ケロイドを持っているのをまのあたりにして、
"不自然に、誰もあのことを触れない"
というのが、被爆者の心の傷の深さを思わせます。

 後半の「桜の国」は現在を舞台に、皆実の姪である七波が主人公。
いつも元気な七波ですが、彼女も人に言えない心の傷を持っていたことが、
物語が進むにつれ明らかになってきます。
その傷は結局、母やお祖母さんの被爆による傷が遠因になっているのですが、
そのことが、原爆という大罪が現在にも影を落とし続けていることを教えてくれます。

 ただ、「桜の国」の部分は物語が消化不良ぎみのような気がします。
被爆2世の問題を扱うことがデリケートだったのか、
物語は七波が父親を尾行して広島に行き、
図らずも自分のルーツを見つめ直すことがメインで、
七波のもつ傷や、被爆2世の問題は軽く触れているだけのように見えます。
 最後の父親の回想シーンで、七波が若い頃の両親を見つめる演出も、
なぜ聞いてもいない親達の物語を七波が知るのか説明がなく、
中途半端です。
 前半、こころを揺さぶられただけに、現代部分の物足りなさが残念です。
                                   (☆☆
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by am-bivalence | 2007-08-22 00:36 | 人間ドラマ | Comments(2)
 人間に対する冷徹な目が子供向けを越えているが。。。  公式サイト

 隠れた傑作と評判の高い、
「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」
の原恵一監督が5年かけて製作したこの映画、
やはり評判が良さそうので、子供だらけで保育園状態の映画館で観てみました。

 この映画、ジブリ作品のように映像が美しいとか、
「アキラ」や「メモリーズ」のように、リアルに動く絵で
高いアニメーション技術を見せるとか、いう訳ではありません。
 プロットも子供が異生物と出会って交流するという構図は
「E.T.」以来、いくらでもあります。
20年以上前の「遠い海から来たCOO」などは、
なぜか主役の名前も同じです。
 それでもこの映画が他と違っている点を挙げるなら、
人間の現実を包み隠さない、ペシミスティックなまでの描写でしょう。

 物語中、子供の間では、いじめや仲間外れのような嫌がらせが
日常茶飯事のように行われています。
主人公 康一も、最初はいじめの仲間に加わっていたりします。
 一方でいじめをただ描くだけでなく、いじめられっ子にも
暗い雰囲気とか、いじめられても反撃しないとか
いじめられ易い理由までも描写したりしています。

 人間の嫌な面は子供社会だけではありません。
クゥは康一の家で隠れて生活していますが、マスコミに嗅ぎつけられ報道されると、
多くの人間が本人や周囲の迷惑を考えずに
クゥちゃんと呼びながら追い掛け回します。
 それはまるで多摩川のタマちゃん以降、
数々の○○ちゃんを追い掛け回す人々を見るようです。
 そんな身勝手な人間を描く一方、
上原一家がクゥを守ろうとするのも、友情を交わすのも
また、人間の一面であるのが救いです。
(ただ、いざという時に最も頼りになったのは犬の"オッサン"だけでしたが。)

 クゥは名前を聞かれても、人間に名前を教えようとしないことから、
クゥのモデルとして、"最後の純粋なアメリカ先住民"イシも取り入れているようです。
自然の中で育ったクゥが、仲間が全ていなくなり、異文化の中で暮らすのは
イシと共通な点が多くあるからでしょう。
イシも礼儀正しく、紳士的な人柄だったようです。
 クゥははっきり「ウソをつくのは人間だけだ」と当然のように言います。
クゥの「河童はウソはつかねぇ」というセリフは、
昔良く知られた、アメリカ先住民のセリフと重なります。

 シリアスな面ばかり取り上げてしまいましたが、
康一とクゥの過ごす夏休みは、楽しく、いい思い出となるもので、
夏休みに子供達が観るにはふさわしいアニメでしょう。
 ただ最後、クゥが行きたがっているからといって、
誰ともわからない相手にクゥを宅配便で送ってしまうのは
上原一家、ちょっと無神経すぎないでしょうか。

 冒頭から、クゥのお父さんが殺されるような残酷な場面や、
いじめを包み隠さず描写するなど、
子供向けアニメの枠を超えていてるようですが、
やっぱり対象は子供達であって、
大人ものめり込んで楽しめるかというと、ちょっと辛い気がします。
                               (☆☆)


参考文献:「イシ-北米最後の野生インディアン」
           シオドーラ・クローバー著 岩波現代文庫
   白人社会と接触を避けて暮らしていたアメリカ先住民
  ヤヒ族最後の生き残り、イシの実話。
  ヤヒ族は本当に親しい者にしか実名を明かさない風習があり、
  彼の呼び名、イシは名前でなく人間という意味だそうです。
   一族最後の一人となったイシが白人社会に現れて、
  亡くなるまでの数年間の記録ですが、
  前半のアメリカ西部での先住民迫害(というより虐殺)の歴史が凄まじく、
  その様はまさに人間狩りです。
   頭皮を剥いでいたのは先住民ではなく、白人であったことが判ります。
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by am-bivalence | 2007-08-16 21:30 | アニメ | Comments(2)
 だんだん観るのがツラくなってきたシリーズ5作目  公式サイト

 ハリー・ポッター・シリーズも先月ついに、最終巻が出て話題となりました。
ニュースの数日後、近所の紀伊国屋で最終巻を見かけ、
ほんとに世界同時発売だったんだと、ちょっと驚きました。
 シリーズ完結で作品の評価も定まってくるんでしょう。
私は一巻を途中まで読んで挫折してますけど。。。

 映画も5作目になり、完結まであと2作、
事態は徐々に悪くなっていく予感を感じさせながら、進んでいきます。
オープニングはホラー映画のような演出。
映像も「アズカバン~」以降定番になった、ダークな色調で、
アンブリッジ先生のピンク以外、色が無いような映像が全編を覆っています。

 今回みどころは、アンブリッジ役のイメルダ・スタウントンでしょう。
いい年して全身ピンクの服で少女趣味を引きずりながら、
やることは陰険なおばさんを、存在感たっぷりに怪演しています。
これだけ見事に憎まれ役を演じたら、子供達に嫌われて
イギリスの街を歩けないんじゃないかと、心配になります。
 これに刺激されたのか、トレローニー先生役のエマ・トンプソンも、
スタウントンとの競演シーンで、哀れなトレローニー先生を
これまた熱演しているのが面白いところです。

 クライマックスのヴォルデモートとの対決は、
まるでスターウォーズのヨーダとデュークー卿のフォース戦のようです。
もう少し新鮮味を感じさせてくれたら良かったんですが。
 
 「炎のゴブレット」ではヴォルデモートを復活させるのに
なぜ、あそこまで手の込んだことをするのか、
ストーリーの中心となる部分が最後まで疑問でしたが、
今回もなぜヴォルデモートがあんなものを手に入れたがったのか、
欲しがっているものの正体が明らかになっても(というか、いっそう)、解りません。
 端的に言ってしまえば、プロットを無理やり
ミステリー仕立てにしているように見えてしまうのです。
これは映画のというより、原作の問題なんでしょう。

 今回で、孤立しがちなハリーの数少ない希望が打ち砕かれてしまいますが、
そのことが今後ハリーにどう影響していくのか、いかないのか、
期待して、いいんでしょうか。
そこが登場人物たちを単なるコマとしか扱っていないかどうかの
分かれ目のような気がします。

 毎回、期待させてはストーリーの核心部分を先送りしている、
そんな繰り返しに、だんだん観るのがしんどくなってきました。
 数少ない大作ファンタジー映画なのですから、予算もいっぱいあるんでしょう、
もっとがんばってほしいものです。
                    (☆
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by am-bivalence | 2007-08-06 22:38 | ファンタジー | Comments(8)
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by am-bivalence | 2007-08-02 22:22 | 人間ドラマ
 不思議さんが闊歩する、大林ワールドがお好きな方はどうぞ  公式サイト

 私は仕事の関係で一時期、広島に住んでいたことがあります。
広島に引っ越して最初に行ったのが平和祈念公園、次に宮島、
その次に行ったのが尾道でした。
 大林宣彦映画のロケ地を見て回るのと、尾道ラーメンを食べるためでした。

 「転校生」が公開されてから、もう25年も経つんですか。
確か小林聡美の映画デビュー作で、その熱演が評判になりました。

 「転校生」は少年と少女の心がひょんな拍子で
入れ換わってしまうという、お話です。
誰でも思いつきそうな安直な設定ながら、
実際に体が入れ換わったら起こるだろうドタバタを(下ネタ含め)、
丁寧に描いて見せました。
入れ替わったことで互いの違いに気付き、相手を思いやれるようになれる、
そんな、ちょっと成長の物語でもありました。
大林監督想い入れの、レトロな尾道の町並みが映画に情緒を与えていました。
足の悪い学級委員長の浴衣姿を見送るショットで
少女への淡い憧憬を感じさせたのは、大林監督の真骨頂でした。
当時、元気の無かった邦画の中で、数少ない秀作でした。

 「転校生」の成功でその後、大林監督は尾道を舞台に映画を撮り続けますが、
後作はどれもファンタジック過ぎて、「転校生」がリリカルとリアルのバランスが
一番良かったように思います。
(ただ私が良かったと感じた部分の半分は、原作に負うところが大きいようですが。)


 「転校生」を大林監督が再映画化するという話を聞いて、
旧作のファンとしてはうれしくもありましたが、
なぜ、今になって自分でリメイク? というのが正直な感想でした。
しかも尾道を離れて長野を舞台にするというのは、
どんな心境の変化でしょう?

 謎はパンフレットの監督自身の序文を読んで解けました。
進めていた企画が頓挫して、急遽引っ張り出したのが
旧作のリメイクというわけですか。
"長野を舞台に映画を"と頼まれたから、ですか。
頼まれたら断れないんですね、大林監督。
でも、長野を舞台にしながら、"やっぱり尾道がいい"というのが透けて見えちゃいます。
 それに、"「転校生」のような映画を"と言われて、
「転校生」を撮っちゃうのは、まんまじゃないですか?

 ただし、そこは百戦錬磨の大林監督、単なるリメイクにはしていませんでした。
映画は後半、旧作とは違う展開を見せ、明るいエンディングだった旧作とは
ある意味、正反対の終わり方をします。
 しかしこの展開、入れ換わるという設定なら、ありえる可能性だし、
考え方によってはとても深いテーマになるのですが、
そんな掘り下げ方はほとんど無いまま、映画は終わってしまいます。
だいいちこの展開では、元に戻ったとしても心から喜べないじゃないでしょうか。
 そこに深いテーマがあると思うんですが。。。

 タランティーノ(失礼!)のような映画マニアの監督が商業的拘束(ヒットさせること)
の圧力下で(観客を意識しながら)撮った映画は、しばしば傑作が生まれますが、
そんな監督がひとたび、拘束を離れて好きに撮ってしまうと、
(マニアック過ぎて)凡打に終わってしまうことがままある、
と言う評を読んだことがあります。
大林映画には、時々そんな雰囲気を感じます。
 この映画には、恋人の一美にキェルゲゴールを読ませようとする
エキセントリックな彼氏や、ヒロシ演じる妙なセリフ回しのバカ息子など、
いろいろ「不思議さん」が出てきます。
ヒロイン一美自身も物語世界に入り込んでしまう、「不思議さん」という設定です。
現実を超えた、そんな大林ワールドがお好きなら、この映画は楽しめるかもしれません。
                                             (☆)
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by am-bivalence | 2007-07-06 23:19 | ファンタジー | Comments(6)

screen27 スパイダーマン3

 健全な少年のためのヒーローなのだろうが。。。  公式サイト

 アメコミの映画化作品は、ある程度の年齢になると、
その荒唐無稽さについて行けなくなることがあります。
まあ、娯楽と割り切ってしまえば、ツッコミ所満載の映画も
それなりに面白いものです。
 そんななか、「スパイダーマン」シリーズはちょっと視点が変わっていて、
楽しませてくれました。
 内向的な普通の青年が、突然超能力を持ちヒーローになることで
見えてくるリアリティです。

 1作目では、自分には関係ないと逃がしてしまう強盗によって
叔父が殺されてしまうエピソードが、ヒーローになる動機に、
強い説得力を持たせました。
(ヒーロー活動は、見方を変われば”お節介”とも取れますが、
それを”力を持つ者の責任”としたのは、ある意味アメリカ的でもあります。)

 2作目では、アルバイトとスパイダーマン家業の二足のわらじで
ピーター・パーカーが過労気味になってしまうのが、
”ヒーローはボランティアだったんだ”と認識させてくれました。

 では3作目でも、何か新しい視点を示してくれるかというと、
それが見当たらないのです。
 あえて言えば、今回は、スパイダーマン自身が
これまでの敵の苦悩を体験する点でしょうか。

 前作までの敵(グリーンゴブリン、ドック・オク)は
超能力と引き換えに、精神に異常をきたし、
自分を見失って、悪役となっていきました。
 それがスパイダーマンに、敵であっても倒すに忍びないジレンマを与え、
「スパイダーマン」独特の世界観となっていました。

 今回は、アメーバのような生物に取り付かれることで、
スパイダーマン自身が精神的に蝕まれ、
”ダークサイド”に引き込まれそうになります。
(ワルっぽくなったピーターが、
ダサく見えるように演出しているのが笑えます。)
 この体験がスパイダーマンを大きく成長させているかといえば
そう見えないないところが、本作の物足りなさだと思います。

(以下、ネタバレ?)
 むしろこの体験後、最後にスパイダーマンの取った”敵を許す”という決着は、
私は、安直でないか?と疑問に思ってしまうのです。

 相手を理解し、共感するのは大切ですが、
悪にも事情があったからといって、何の贖罪も無しに
犯した罪を許してしまうのは、いかがなものでしょうか。
 サンドマンが娘を思って悪事に走ったのは同情の余地がありますが、
だからといって現金強盗してもよいという事は無いでしょう。
叔父殺しもピーターの中で許せたとしても、見逃せるものではないはずです。
 まだ、「デスノート」のように、殺されて当然の犯罪者を抹殺していくキラを、
殺人は殺人、罪を問われるべきと断罪した倫理観のほうが正しいように思えます。
 スパイダーマンのヒューマニズムが
安易な方向に向いてしまったような気がしてなりません。

 全体的に3部作の完結編的ストーリーとなっているため、
多くを盛り込み過ぎて、消化不足の感がするのが残念です。
                              (☆☆)


 参考文献:「ハリウッド・ビジネス」 ミドリ・モール著 文春新書

  「スパイダーマン」は映画化が望まれながらも、著作権が二転三転して、
  なかなか映画化に結びつかず、ジェームズ・キャメロンも諦めたのは
  よく知られています。
   本書はその経緯を始め、映画の著作権を巡る駆け引き等、
  映画ビジネスの裏側を解説してくれます。
   著作権のトラブルでビデオ・DVD化できなくなった映画が以外にあるそうです。
  そういえばあの映画、最近見かけないけど大丈夫かと、想像したりします。
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by am-bivalence | 2007-05-30 23:35 | アクション | Comments(2)
 「バベル」「21グラム」の原点であり、原型

 私の生活圏内のシネコン、CINEMACITYでは、
定期的に過去の作品のアンコール上映を企画します。
 今回、気鋭のメキシコ監督選として、イニャリトゥ監督の
「アモーレス・ペロス」が上映されたので、これを逃さず観に行きました。
(私としてはアルフォンソ・キュアロン監督の
「天国の口、終りの楽園。」を観たかったのですが。。。)
                         (映画館サイト参照)
 アンコール上映なので公式サイトがありません。
概要を書いておきます。

「アモーレス・ペロス」(2000年・メキシコ・153分)
 監督、制作:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
 脚本:ギレルモ・アリアガ

ストーリー:
 映画は白昼、街中を車が猛スピードで逃走していくシーンで始まります。
車には若者二人が乗っていて、後部シートには血だらけの黒犬が横たわっています。
追いかけてくるトラックを振り切ろうとして、車は赤信号を無視し、
事故を起こします。

 映画はこの事故に関わった男女3組のオムニバス形式となっています。
1話目は事故を起こした無職の若者の物語。
暴力的な兄のDVに悩む兄嫁に思いを寄せる彼は、
闘犬で稼いだ賞金で一緒に街を出て行こうと働きかけます。
遂に兄嫁と関係を持って、計画はうまく行くように見えましたが。。。
 2話目は不倫相手との生活を手に入れ、仕事も好調だったモデルが、
事故に巻き込まれて大怪我を負い、凋落していく顛末。
 3話目は事故現場にい合わせた浮浪者風の初老の男。
瀕死の黒犬を拾っていくことが、彼の人生を変えるきっかけを作ります。
この男は昔、大学教授から革命家を志しましたが挫折し、
今は浮浪者のような生活をしながら、影で殺し屋もやるという、ちょっと突飛な人物。
(依頼されたターゲットを尾行する顔つきがいかにも殺し屋風で、笑ってしまいます。)
革命のために捨てた妻娘が忘れられず、娘への愛を募らせていきます。


 「アモーレス・ぺロス」とはスペイン語で「犬のような愛」という意味だそうです。
各話とも犬が重要な要素、象徴として出てきます。
 映画は3組の愛の物語なんですが、不倫だったり、一方的想いだったり、
どれも報われない利己的、衝動的なもので、必然的に悲劇的結末になります。
(「ぺロス」は俗語で「最低な」という意味もあるらしい)*後注

 前半の若者のエピソードは、切れやすく刹那的で傲慢な
チンピラ風若者達に全く共感できず、
正直、観て失敗かと思っていましたが、後半は引き込まれました。

 処女作にはその作家のすべてがあると言われますが、
イニャリトゥ監督のこの映画はまさにそんな典型的例のように見えます。
貧富も含め様々な階層の人物を描くオムニバス形式、
時間軸を縦横に動かす語り口、混沌とした中の荒々しさ、
人を突き動かす情念を描き、切ない後味を残すスタイルは、
イニャリトゥ監督のその後の2作に共通するものです。

 特に本作では各エピソードで、別のエピソードの登場人物が
一瞬現れるような演出がされており、
このエピソードは、あのエピソードではこの時の話だったのかと
解る構造になっています。
 それが、年齢も生きる社会も異なる様々な人物が
実は同じ時間、空間を生きて、共有していることを感じさせるのです。
 本作は脚本を36回も書き直したというのも、うなずけます。

 イニャリトゥ監督は「バベル」でもこんなことがやりたかったのかと、
ちょっと納得しました。
                                  (☆☆


参照映画:「灰とダイヤモンド」 アンジェイ・ワイダ監督 1959年 ポーランド
 時間と空間の共有を感じさせる演出と言えば、
この古典的映画を思い出します。(古すぎ?)
 政情不安定な終戦直後のポーランドで、
テロリストの若者が政府要人を暗殺するという物語(だったと思います)。

 若者が要人を街角で射殺したとき、要人が若者に倒れかかります。
思わず抱きとめた若者の背後で、祭りの花火が上がるのです。
その花火を、様々な人が、いろいろな場所で、
それぞれの想いを胸に見つめているという有名なシーンです。

 確か、大林宣彦監督の「転校生」(1982)でも、
会うのを禁じられた主人公達が、
同じ花火を別々の場所で見上げている、情感あるシーンがありました。

*注)気になったのでちゃんと調べてみました。確かにそういう意味がありますが、
  辞書によって、かなり表現がまちまちです。俗語、口語表現だからでしょう。
   ~de perros:形)最低な、最悪な、悲惨な、みじめな、不幸な
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by am-bivalence | 2007-05-12 00:23 | 人間ドラマ | Comments(12)

screen25 バベル

 運が悪い方向に向かっていく緊張感で見せる"オムニバス映画"  公式サイト

 イニャリトゥ監督は前作に「21g」という哲学的タイトルを使っていましたが、
今回も哲学的意味を持たせた凝ったタイトルを冠しています。
 「バベル」というタイトルに込めた意味で、
テーマは「言語の壁」とか「相互理解」なんだろうと勝手に想像していましたが、
実際は、「言葉があっても生じるコミュニケーション不全」や
「人の愚行が生み出す誤解」だったようでした。
 映画の内容とタイトルが一致しているようで、
一致していないようなところも、前作同様です。

 「21g」では、1シーンごとに時制が違うのじゃないかと思うほど、
これでもかと、時系列をいじっていたイニャリトゥ監督、
(まあ、それでも観ていてストーリーが解るのは、すごいのかも知れませんが。)
素直に時系列でプロットを見せない手法は、本作でも控えめながら健在です。

 ただ、前作では心臓移植を通して、
無縁だった3人がめぐり合うことになりますが、
「バベル」では4組のエピソードが互いに密接に関連しあう訳でもなく、
ほとんど独立した物語となってしまっているのが残念です。
「アメリカ人観光客狙撃事件」を軸にした、
単なるオムニバス映画といった印象で終わっています。

 映画宣伝では現代世界情勢を考えているような、
社会派映画のように印象付けていますが、
描かれる問題は、ほとんど個人のレベルに止まっている様に見えます。
強いて言えば、社会派的なのはメキシコ人の不法就労問題ぐらいでしょう。
これを観て「世界はまだ変えられる」のか、と想いを巡らすには、
ちょっと無理があるような気がします。

イニャリトゥ監督の作品は一回観ただけでは、
なかなか理解できそうにない、含みを持った複雑な部分があるのですが、
かといって、何度も観直したくなるかというと、微妙です。
もう一度観直す機会があれば、印象が変わるのかも知れません。

(以下、ネタバレ)
 登場人物達が自分の枠を捨てて、理解し合えるのは
「生命の危機」を感じたからのようです。
 アメリカ人夫婦は妻の死を予感して、
心が離れてしまう元になった子供の死に対する思いを語り合います。
モロッコの少年は兄の命のために自分の過ちを認め、警察に投降し、
メキシコ人の乳母は砂漠から脱出するために、
自分が逮捕されることもかえりみず懸命になります。
 「生命の危機」に直面しなかった日本人親子の関係は
結局何も変化していないように見えます。
 人は命がけでなければ、解り合えないものなのでしょうか。
                            (☆☆)
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by am-bivalence | 2007-05-06 22:11 | 人間ドラマ | Comments(2)