劇場で観た映画の覚え書き


by am-bivalence
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 スターウォーズファンが自分で観たいスターウォーズを作ったら
こんな映画になっちゃいました?
 公式サイト

 予告編を観たときから、ちょっといやな予感がしたんですよね。
帝国が崩壊してから30年経っているはずなのに帝国軍と反乱軍がまだ戦っていて、
出てくる戦闘機もほとんど変化してないXウィングとTIEファイター。
30年間何やってたんでしょ。
 実際、公開後の反響でしばしば聞くのが
“面白かったけど、「新たなる希望」を観ているみたい”
 私も観てそんな感じを持ちました。
なぜ「フォースの覚醒」はそんな既視感を感じてしまうんでしょう?

 そもそもジョージ・ルーカスがスターウォーズでやったことは娯楽映画の復権でした。
「新たなる希望」が作られた70年代、ハリウッドはアメリカン・ニューシネマのムーブメントがあって、社会性を伴ったシリアスな現実を見せるのが一つの主流でした。
そこに娯楽としての映画を改めて造り大ヒットしたのがスターウォーズでした。
 ルーカスはTVで観ていたフラッシュ・ゴードンを映画化したかったのですが叶わず、
オリジナル作品であるスターウォーズを産み出します。
SFである自由さを活かし、ルーカスはそこに過去の様々な連続活劇、娯楽映画のエッセンスを注ぎ込みました。
Xウィングの空中戦はもちろん戦争映画、
ライトセーバーはチャンバラ時代劇、
ルークやハン・ソロが酒場で絡まれるのは西部劇、
ルークがレイアを抱えてロープで谷を越えるのはターザン映画、
セールバージでの処刑は海賊映画、
様々な惑星を渡り歩くのは世界を叉にかける007のオマージュ、
etc.etc...

 では、「フォースの覚醒」はどうでしょうか。
他の娯楽映画を連想させるようなシーンはほとんどありません。
観ていると、どこかスターウォーズシリーズで観たようなシーンが多いんです。
(ひとつ他作品のオマージュと思われるのが冒頭のレイ登場シーン。
ここは「風の谷のナウシカ」の冒頭でナウシカが腐海を探索するシーンを思わせました。
「ナウシカ」は宮崎駿が「ゲド戦記」をアニメ化したかったのに叶わず、
オリジナル作品として誕生したのがスターウォーズと似てます。)

 これまでのスターウォーズが娯楽映画の集大成にしようとしていたのに対し、
「フォースの覚醒」はこれまでのスターウォーズシリーズばかり参照して
表面的にスターウォーズらしさを作っている様に見えるんです。
まるでスターウォーズの大ファンが過去作品を継ぎはぎし、
自分の観たいスターウォーズを作ってしまったかのようです。
 製作スタッフほとんどがファンであるのを表明しているので、
そうなってしまっても仕方ないのかもしれませんけど(笑)。

 なぜこれまでのスターウォーズを継ぎはぎしたような映画になったか、
その訳はやはりルーカスからディズニーへ制作が移ったことにあるようです。
「フォースの覚醒」はオープニングのタイトルロゴに、
本来ならディズニーのシンデレラ城が現れるはずが、ルーカス・フィルムのものが流れます。
つまり、ディズニーはスターウォーズをディズニー・ブランドとは距離を置かせ、
いわばスターウォーズ・ブランドとして独立させているのです。
下手にディズニーを意識させると観客が離れてしまうのを自覚しているのでしょう。
 その配慮が作品にも及んだのではないでしょうか。
制作体制が違ってもスターウォーズの世界は変わらないとアピールするために、
メカなども大幅なリニューアルはせず、プロット、シチュエーションも似たような感じにして
わざと既視感を持たせ、スターウォーズらしく見せたように思えます。

 ともあれ、主役が女性だったり、脱走兵が主要キャラの一人だったりして、
新機軸も見られますし、次作の伏線だろう幾つもの謎なども提示されています。
次回はJJ・エイブラムズらしい意表を突く展開を期待しましょう。(☆☆☆)
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by am-bivalence | 2016-01-17 00:39 | SF | Comments(0)
 年末、HDDビデオの空きを増やすため録画したまま放っていた「ゴーイング マイ ホーム」を観てから消そうとしたら、ハマってしまいました。

 「ゴーイング マイ ホーム」は2012年10月から放送されたTVドラマ。
詳細はウキペディア番組HPに譲るとして、簡単にあらすじを説明しますと、

 坪井 良多(阿部寛)はCMディレクターとして日々顧客の御機嫌を取りながら忙しく過ごすサラリーマン。 妻沙江(山口智子)は有名な人気フードスタイリストで、小学生の一人娘萌江(蒔田彩珠)がいる。
 ある日萌江がうちには小人のフロドがいると作文に書き、沙江が学校に呼び出しを受ける。 一方、良多は東京で暮らしているはずの父栄輔(夏八木勲)が長野で意識不明となったと知らせを受け、長野の病院に駆けつける。病院で良多は父を見舞う下島 菜穂(宮﨑あおい)に出会い、父は故郷の長野で"クーナ"という伝説の小人を探していたことを知る。 森に住むクーナは死者と生者を繋ぐ能力があるという。 最初は笑っていた良多も森でクーナの帽子を見つけ、萌江とともに菜穂のクーナ探しに惹かれていく。。。

 このドラマは「誰も知らない」「歩いても歩いても」の是枝裕和監督が初めてTVドラマを手掛けたこと、
長い間引退同然だった山口智子さんが連ドラに復帰したことで話題になりましたが、
視聴率的には振るいませんでした。
 私も是枝監督ということで放送時1,2話観たのですが、TVドラマとしてはテンポがゆっくりで、何が本筋かよく分からない展開に観なくなり放ったらかしになっていました。 視聴率が悪かったのも、その辺りに原因があったようです。
いつまで経ってもドラマチックなことが起こらないのんびりした雰囲気、
重要な事をあえて強調せず視聴者に集中力を要する構成が、
2時間の映画ならともかく週1回放送される連続ドラマでは視聴者の関心を繋ぎとめられなかったのでしょう。
 でも全編を通して観ると、その点こそがこのドラマの面白いところでした。

 このドラマでキーとなるテーマは登場人物たちが何度も口にする
「この世界は目に見える物だけできているわけではない」
ということ。
 その言葉のようにドラマでは疑問が出てきても最初から真実は提示されず、観ているうちに次第に事実関係が分かってきます。
 なぜ萌江は学校でいろいろ問題を起こすのか、
 なぜ栄輔や萌江はクーナを探すのか、
 菜穂、治(西田敏行)親子はなぜ不仲なのか、
 幼なじみの栄輔、久実、治の間に昔何があったのか、、、
随所に伏線があって、何話か後にそれが分かったりします。
しかし全てが最後に明らかになるわけでもありません。
大切なものは表に現れず、真実は隠れてしまうもの、なんです。

 目に見えない大切なものというと"愛"とか"夢"とか"希望"を連想しますが、
劇中のある登場人物が目に見えないものとして"悪意"とか"失望"とかを上げて、はっとさせられます。
確かに世界は”敵意"とか"憎悪"とか目に見えない悲しいものにも動かされている。。。

 映画にはない連続ドラマの強みを活かし、登場人物それぞれのキャラクターが細かく描写され日常生活を丹念に追っているのも面白いところ。
 またドラマの根底に家族の繋がりがあるのが、以降の是枝監督作品「そして父になる」「海街diary」にも通じています。(「そして父になる」の撮影はこのドラマの前だったとか。 番組HPの第7話あらすじには家族について触れている部分があるのですが、本放送には出てきません。 おそらく何らかの理由でカットされたようです。 「そして父になる」にも出演している夏八木勲さんはゴーイング~撮影中にも体調がすぐれず、連ドラとしてはこれが遺作となりました。)
 一点残念なのは萌江が「ホビットの冒険」を読んで小人をフロドと呼ぶようになってますが、ホビットの冒険に出てくるのはビルボ。 是枝監督、「ホビットの冒険」読んでないな(笑)。

 ともあれ、ゴンチチの音楽をバックに、良多と家族が交わすゆるい会話にクスクス笑うのも良し、
ドラマの裏にある世界に想像を巡らすも良し、
沙江の作る美味しそうな料理を楽しむも良し、
「ゴーイング マイ ホーム」は幾重にも楽しめる良質なドラマ、もう少し評価されてもいい悲運のドラマなのでした。
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by am-bivalence | 2016-01-10 00:05 | 人間ドラマ | Comments(0)
 クラーク・ケントはいい人だ 公式サイト

 2006年の「スーパーマン リターンズ」は無かったことにして、
クリストファー・ノーランのプロデュースにより再リブートしました、新シリーズ。
 
 ノーランが制作するだけあって、今度のスーパーマンは悩みながら行動するのが
特徴。
自身のアイデンティティーを求めてクラーク・ケントが世界を放浪するところは
「バットマン ビギンズ」のブルース・ウェインと重なります。
 彼の悩みは自分が何のために何処から来たのか、
自分の超能力を活かし人々を救うため、能力を公表すべきか、ということ。
クラーク・ケントは育ての親から超能力のために人から恐れられ迫害を受けないよう、力を隠す事を教えられてきたからです。
 でもここがどうも私には引っ掛かります。力を公にするかどうか以前に、
人間は救うだけの価値があるのか、クラークは疑問に思わないのでしょうか。

 彼は子供時代にその特殊能力が元でいじめられています。
人間の厭な面も見せられてきたわけで、私なら人のために働くべきか悩む前に、
人間が守るに値する存在なのか悩んでしまう気がします。
 ましてや神憑り的能力であれば、宮崎駿監督が言うように「人間を罰したい」という衝動にも駆られてしまうんではないでしょうか。
 しかしクラークの思考にはそんな発想が全くありません。
彼にとって人間を守るのは自明であって、人間の存在そのものに全く疑問を持たないのです。
 人に対する絶対的信頼、クラーク・ケントっていい人だなぁ。
そういう健全な人格だからこそ、正義のヒーローたり得るんでしょう。
                            ☆☆☆
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by am-bivalence | 2013-10-20 22:22 | アクション | Comments(0)

SCREEN130 風立ちぬ

"一番傷つきながら生きている"ことの意味  公式サイト

 最初、アニメ「風立ちぬ」は印象悪かったです。
6月頃から映画館で「風立ちぬ」の4分間スポット予告を始めたんですが、
これが映画本編終了後に上映するという、タイミングの悪いもの。
観客が観たくて来た映画の後、余韻に浸る間もなく関係ない映画の予告など見せられたんじゃ興醒めです。
どんなに面白そうな映画でもこれでは逆効果、
絶対観に行ってやるもんか、と思ってしまいました。
(ジブリらしからぬまずい宣伝は、さすがに不評だったと見え、2週間ほどで普通の予告と同様、本編の前に上映するように変わりました。)
 でも宮崎アニメ、公開されるとやっぱり観に行ってしまうんですね。

 宮崎駿監督5年ぶりの新作は、実在の人物と現実世界を扱ったこれまでに無いパターン。
監督自身は子供向けアニメをやりたかったのですが、
鈴木プロデューサーが模型誌に連載したこのマンガの映画化を要望したとか。
 プロデューサーとしては低年齢層を意識した「ポニョ」がヒットはしたものの、
トトロほど人気を得られなかったので目先を変えたかったんでしょうか?

 それはともかく、出来上がったものを観ると、大地震で家の飛び跳ねる動き、汗の雫や吐血時の液体の表現など、ポニョで使った絵本やマンガのような、写実的ではない手法を踏襲してます。
宮崎監督、自分のやりたかったことをちゃっかり盛り込んでいます。
 鈴木プロデューサーは実在の人物、世界を扱うならば、得意の飛行シーンも使えないだろうと思っていたようですが、そこも宮崎監督、現実世界に夢の中、空想の中のシーンを差し込んで、思いっきり飛び回っています(笑)。 好きなプロペラ飛行機も思う存分引っ張り出して。
 プロペラやエンジン音など効果音を人の口でやるというのも、マンガ的表現の一環なんでしょう。この効果音は部分的に人の声と感じ取れるところがあって、空想の中の飛行機であるのが強調されたような不思議な感覚があったり、震災の時の地鳴りのような音に人のうなり声が混ざって不気味さが増していたり、面白い効果を上げていたと思います。
 震災時のモブシーンも見どころ。 これは大画面で観るべきでしょう。
夢の飛行シーンと比べると、震災シーンはさながら悪夢のようです。

 映画で隠れたファクターになっている仕事観ですが、
元になった雑誌連載の「風立ちぬ」では、二郎が自分の設計を通すためにさまざまな策を弄していて、狡猾ともとれる面が描かれています。
 宮崎監督は以前「カリオストロの城」を短期間で制作しなければならなかった時、スタジオ入り口に自分の机を置き、スタッフを帰りづらくして遅くまで働かせようとしたといいます。監督の言う"力を尽くして事を成す"とは、いい仕事のために手段を選ばないところがあって、仕事論として興味深かったのですが、映画ではそんな描写が無くなっていて拍子抜けでした。
まあ、あのまま映画にしていたら" 二郎っていやなヤツ"と思われたからでしょうけど(笑)。

 そしてラスト。最後になってゼロ戦に言及してるのですが、
ここが一番感動的でした。
夢を追って誰よりも優れた業績を上げたのに、その結果は。。。
 宮崎監督は庵野秀明を吹き替えに起用した理由について、
「現代で一番傷つきながら生きているから」と語っていました。
吹き替えの成否はともかく、ラストシーンでその意図が痛みとともに理解できたのでした。                                        (☆☆☆☆)
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by am-bivalence | 2013-08-09 22:50 | アニメ | Comments(0)

SCREEN129 ニーチェの馬

 生きることは"苦役"なのだろうか 公式サイト

 今年最初に観た映画はT田馬場W稲田松竹の2本立てでした。
そのうちの1本が、この「ニーチェの馬」。 観終わった後の正直な感想は、
 "新年早々、こんな重たい映画を観てしまうなんて。。。"
でした。
ユーモアなど全くと言っていいほど無く、世界がじわじわと破滅に向かって行く閉塞感に押し潰されそうになる映画だったのです。
この閉塞感は私を鬱な気分にさせてくれました(苦笑)。
これほど鬱屈した後味を残した映画は、ラース・ホン・トリアー「メランコリア」で絶対的絶望とそれに対峙した時の人間模様を観せられて以来でした。

 この映画が紹介される時はタイトルにもなっているニーチェ晩年のエピソード、
働くのを拒んで鞭打たれている馬にニーチェが泣きながら抱き付き、発狂したという逸話が紹介され、それにインスパイアされて映画が出来た云々が言われます。
映画冒頭にもその逸話がティロップされますが、実際のところ、映画を観ている間はほとんど逸話を気にする必要はないと思います(笑)。
劇中、馬は出てきますが、この馬がニーチェの馬だとは一言も言ってませんし。。。
 この映画の構成はシンプルで、農夫の父と娘が繰り返す生活を6日間ずっと追い続けるだけです。
映画全体の雰囲気は予告編から受ける印象そのまま。
白黒の映像に重苦しい管弦楽のBGMが被さり、戸外は常に強風が吹き荒れています。

 この映画を観ていて感じさせられるのは”生きていることは苦役である”ということです。
戸外に吹き荒れる強風は水を汲みに行くことさえ困難にし、親子の生活を妨げます。
親子は朝起きては着替え、水を汲み、薪割りなどの労働をする生活を繰り返します。
父は右腕が麻痺しており、不自由な体を娘に補助してもらい着替えなければなりません。
毎日の食事は茹でたジャガイモ1個だけという極端に簡素なもの。
そこに喜びは無く、ぎりぎりの生活をただ義務的に日々続けているような日常です。
 それは極限まで切り詰められた人間の生き様、さらには、生命の本質をも象徴しているように思えます。
ただ生まれ、生き、死んでいく生命のありようの象徴です。

 ちなみにこの映画は観る者にも"苦役"を強いるようです(笑)。
普通の映画なら90分で終わってしまうような内容を2時間34分という長尺で、
繰り返す日常を延々と見せられます。
しかも全編で30カットしかないという長回しシーンを注視し続けなければならないのです。

 ただ、父と娘の6日間は全く同じ日々では無く、少しずつ"何か"を失っていきます。
やってきた隣人には世界がひどい有様になっている噂を聞き、
馬は何故か働かなくなり、何かに脅えたようで餌も食べなくなります。
やがて井戸も涸れ、ついには信じがたいものまで失って窮地に陥ってしまうのです。
 何かを失っていく世界、これは"老い"や、生物が死へ向かって行く命の終焉を象徴しているようです。
老いていくというのは今まで出来ていたことが出来なくなっていくことであり、
個体にとって死とは、「ドニー・ダーコ」で看破されたように、世界の終りと同義なのですから。
この映画が6日間の出来事であるのも、神が6日間で世界を創ったことに対比させているそうです。

 そしてラストシーンでの父親の行動。
その姿をどんな状況でも諦めない希望と取る人がいるかもしれませんが、
私には、世界が終わりを迎え死が面前に迫っていても生命は最後まで生きる営みを止められないものだということを表象しているようにしか見えませんでした。
死が目前の状況にあっても、最期の瞬間まで心臓は鼓動を続けるように。

 。。。ところで、ニーチェは鞭打たれる馬に何を見たのでしょうか。
鞭打たれながら生きている馬に、人間の本質を見たのでしょうか。
人生は厳しく時に冷酷で、生は本質的に苦役なんでしょうか。
生命はただこの世界でもがきあがくために死を宿命づけられて生まれてくるのでしょうか。
だとしたら、命にはどんな意味があるのでしょうか。。。

 この映画の世界観は、よく観るとかなり恣意的に形成されているように思えます。
 ジャガイモ1個の食事は、生物にとってエネルギーを補給することが食べることの本質と捉えています。
そこには美味しいものを食べる愉楽はありません。
 主人公二人が父と娘で、夫婦でないのも意図があるようです。
父娘は親子というより主人と使用人のようにも見えます。つまり、愛情が感じられないのです。
 この映画は人生で喜びや意義となるもの、
食欲、愛情、人との結びつきといったものを慎重に拭い取っているのです。

 人はパン無しでは生きられないけれど、パンのみで生きているものでもありません。
むしろパン以外に生き甲斐を見出すのが人間の本質ではないでしょうか。
                               (☆☆☆)
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by am-bivalence | 2013-03-08 00:54 | 人間ドラマ | Comments(0)
 キャラクターの成長とともに主題が変化していく映画には、さらに裏テーマが?  公式サイト

 この夏は映画の大作、話題作が豊富な年でした。
続編、リメイク的なものが多いのも特徴。

 傑作と言われる前作のプレッシャーをものともせず、
3部作を手堅く締めくくった「ダークナイト・ライジング」、

 「エイリアン」の皮を被った"ムー"だった「プロメテウス」、

 オリジナルだけでなく「ブレードランナー」、「フィフス・エレメント」といった
SF映画の雰囲気を盛り込んだ正統派SFアクション「トータル・リコール」、

 公開館が少ないので名作のリメイクで話題を狙っただけのキワモノかと思っていたら、
意外によく出来ていた「遊星からの物体X ファースト・コンタクト」、

"これが映画だ"と大見得を切ってるけど。。。の「アベンジャーズ」など、など。

 さてこの夏の話題作で気になったのが、
「時をかける少女」で一躍有名になった細田守監督最新作、
「おおかみこどもの雨と雪」。
ちょっと変わった映画でした。
なにしろ映画の進行とともに主題(テーマ)が変わっていくんです。

 冒頭は花と彼(おおかみおとこ)のラブストーリーと家庭の形成物語。
中盤はシングル・マザーとなってしまった花の子育て奮闘記。
終盤は二人の子供、雨と雪のアイデンティティーの確立と自立の物語。
 3つの主題が一本の映画となっているのは、お得といえばお得(笑)ですが、
観終わると、母親の物語だったのか、子供たちの物語だったのか、
印象が散漫になってしまうのが難点です。

 もうひとつ引っかかったのが、なぜ「おおかみこども」なのかということ。
細田守監督、子育てする女性のかっこ良さを描きたかったと語っていますが、
それだけなら「おおかみこども」である必然性は無いはずです。
 では、田舎暮らしを描くうちに「もののけ姫」のように自然対人間のテーマも盛り込むため、
自然の象徴として「おおかみこども」にしたのでしょうか。
でもここで描かれる「おおかみこども」は自然側の象徴としては少し違和感があります。
「おおかみこども」は人間に比べれば野性的かもしれませんが、
彼ら自身、野生動物からも畏れられる(疎まれる)存在ですし、
野生生活に入るにはそれなりの"訓練"が必要でした。
 また、「おおかみこども」はティム・バートンが好んで描くような
異形(変人、おたく)の象徴という意見もあります。
でもそれは個性であって"血統"とはちょっと違う気がします。

 では「おおかみこども」とは何なのか。
誤解を恐れずに深読みすれば、「おおかみこども」、「おおかみおとこ」は
混血や在住外国人の暗喩として、裏テーマ的に設定されたのではないのでしょうか。
ちょうど「千と千尋の神隠し」が"風俗で子供を働かせる親"という裏設定があったように。
 そう考えると終盤子供たちが"人間社会"の中で自分たちの属性に悩み、
それぞれ別の道を歩み始めるのが、すんなり受け入れられるのです。
社会の偏見に悩まされながら子育てする混血児のシングルマザーと、
成長するに従い、自身のアイデンティティーに揺らぐ在住外国人の子供達、
そんな比喩に思えてきます。
 おおかみこども達の父である彼(おおかみおとこ)の名前が出てこないのも意味深です。
名前は国籍を端的に表しますから。。。と、これも深読みしすぎでしょうか。
                            (☆☆☆)
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by am-bivalence | 2012-08-31 00:58 | アニメ | Comments(0)
 3D演出が楽しい3Dで観るべき映画  公式サイト

 「アバター」のヒット以来、完全に市民権を得た3D映画。
「でも3D映画って、単に奥行きがあるだけじゃん」って思っているあなた、
3D映像の表現力を侮ってはいけません。
そういう人にはこの「ヒューゴの不思議な発明」を観て頂きたい。

 冒頭、カメラがパリの駅構内を横断していく1ショット撮影から始まって、
ヒューゴが住む迷宮のような駅舎内を縦横に動き回る時の臨場感。
 あるいは後半の映画撮影スタジオで水槽越しに海底シーンを撮るカットの
実際に水槽を前にしているようなリアリティ。
 駅構内でヒューゴが彼を目の敵にする鉄道公安官に尋問されるシーンでは、
「ボラット」の怪優サシャ・バロン・コーエン演じる公安官の顔が飛び出して迫ってくる
演出に、おもわずニヤリとさせられました。
スコセッシ監督、3Dで遊んでます(笑)。
 最初、スコセッシ監督が3D映画を作ったのが意外でしたが、
実際に映画を観てみると、監督自身、以前から立体映像が好きだったというのが分かる気がします。
昔の記録映画のカットをコンピュータで3D化してみせるのも、
こんな使い方があったかと、ちょっと新鮮でした。

 もう一つ意外に思っていたのが、「タクシードライバー」「ディパーテッド」の
スコセッシ監督が児童文学を映画化したこと。
お孫さんにも観せられる映画を撮っておきたかったのかと思ったのですが、
(実際に娘さんに観せられる物を作りたかったのも動機だそう)
話の中核が最初のSF映画と言われる「月世界旅行」を撮ったジョルジュ・メリエスだったことで納得しました。
スコセッシ監督、フィルムの退色問題に抗議して「レイジング・ブル」を白黒で撮ってたんでした。
古い映画への憧憬、保存問題への造詣の深さは人一倍のはず。
この原作を映画化するのはスコセッシ監督ならではの選択でした。

 出演陣もクリストファー・リー、ジュード・ロウと豪華ですし、
ちょっとハツラツ演技過剰ながらクロエ・グレース・モレッツも可愛い(笑)。
蒸気と歯車のレトロな世界観は好みが分かれるかもしれませんが、
どんな年齢層でも楽しませてくれる映画なのでした。
                                 (☆☆☆)
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by am-bivalence | 2012-03-24 23:15 | ファンタジー | Comments(0)

SCREEN123 ステキな金縛り

 三谷幸喜の最高傑作!?  公式サイト

 ここのところ私がよく利用するシネコン・TOHOシネマズは
シネマイレージ会員というものがあります。
会員になると映画6本観賞で1本無料で観られるほか、
映画の上映時間1分につき、シネマイレージなるものが1マイルつきます。
このマイル、6000マイル貯めると、1ヶ月間無料で好きなだけ映画が観られるという
(幾つか制約あり、写真参照)
映画ファンには夢のようなフリーパスポートが貰えるのですが、
これだけ貯めるには2時間の映画なら50本以上観る必要があります。
そんな物好き、そうはいないだろうと思っていましたが、
いました、ここに。
映画祭に通い続けたおかげで、1年足らずで6000マイル達成してしまいました。
 と言うわけで、発行してもらったパスポートがこれ。

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パスポートの有効な1ヶ月間、休日になると映画を梯子する日々が続きました。
あ~、忙しかった。

 「ステキな金縛り」もフリーパスポートで観てました。
しかも2回。2度も観たのは1回目が隣の客のマナーが悪くて、
印象が悪くなってしまったのと、やっぱり面白かったから。
 
 「ステキな金縛り」、封切前はタイトルからして面白くなさそう(失礼!)で
期待してなかったのですが、
実際観てみると、これがどうして、予想以上の出来でした。
これまでの三谷作品の中で一番面白いのではないのでしょうか。
何より笑いだけでなく、最後に泣かせるところがあってしっかり感動させてくれる。
今までの三谷作品と一線を画しているように思います。
(近いのは「笑の大学」かな?)

 井上ひさし氏の作品にも通じるのですが、
三谷幸喜氏のコメディは、どこかロジカルなところがあります。
論理的に議論を進める法廷ものは、三谷氏にはうってつけだったのでしょう。
今回も幽霊が見える人には、"3つの共通点"があるとか、
幽霊は現世では"ある事"ぐらいしかできないとか、制約があって
それが笑いを生んだり、泣かせる伏線になっていたりしてます。

ただ2回も観ると、展開が強引なところが4ヵ所ほどあるのに気付いて、
脚本は意外と苦労したんだなあと思ったりします。

 笑いは免疫力を高め、健康に良いそうです。
明るく、ハッピーエンドでスカッとできる映画を観るのも、
きっと体にも良いんじゃないでしょうか。
                 (☆☆☆)
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by am-bivalence | 2011-12-23 21:35 | コメディ | Comments(2)
 我々は皆「借りぐらし」している?  公式サイト

 以前、仕事がやたら忙しかった頃、いくらこなしても尽きない仕事量に、
同僚が休憩室でこんなふうにぼやいていたことがありました。
「俺たちが帰った夜中にさ~、小人さんが現れてさ~、
代わりに仕事やってくれないかなあ~、
朝来たら仕事が片付いてた。。。な~んて、ないかなあ。」
 妄想です。

 「借りぐらしのアリエッティ」では、小人が人間を手伝ってくれることはありません(笑)。
というより彼らは人間との接触を完全に避け、
見つからないことを掟にして暮らしています。
床下に隠れ住むアリエッティの暮らしは、
屋根裏に隠れて暮らしたアンネ・フランクをちょっと連想させます。
アンネと違って恐怖と不安が付きまとうわけではないんですが。。。
むしろアリエッティは隠れながらの「借りぐらし」のスリルを楽しむような子です。

 人間の持ち物から生活に必要なものを調達していくアリエッティ達の行動を
「借りぐらし」と呼ぶのに、ちょっと違和感を感じるかもしれません。
ただの泥棒じゃないかと思う人もいるでしょう。
でもそんな批判は、脚本の宮崎駿も百も承知、
だからお手伝いのハルさんに"泥棒小人"と言わせているのですよ。

 そもそも、プリミティブな人間(生き物)の暮らしというのは、
周囲の環境(自然)から生活の糧を“拝借”してくるものでしょう。
だから「借りぐらし」は「狩りぐらし」と同義。
 狩猟生活をしている民族は所有という概念があまりなく、
暮らしの糧を与えてくれる自然に謙虚に感謝していました。
農耕を始めたことで土地を"所有"し、他生物を締め出して、
備蓄可能な食糧を手に入れたことから自分の周りに財産を築き、
万物の霊長と慢心してきたのが人間。
 でもね、およそ全ての生物は、この世界では「借りもの」でしかなく、
「自分の物」なんてないんです。
だって自分自身だと思っている肉体でさえ、死んでしまえば分解され、
土に帰り、他の物の一部に"リサイクル"されていくじゃないですか。
そういう意味では、私達は皆「借りぐらし」しているんです。

 翔に「君たちは滅びゆく種族」と言われたアリエッティが
生き生きと生命力に溢れているのに対し、
67億人いる人間代表の翔は胸を患っていて覇気がないという皮肉。
 いや、これはアイロニーではないのかもしれません。
人口減少が始まり活力を失ってきている日本と、
生き抜くスキルを持っているアリエッティ達と、
滅びゆくのはどちらなのでしょうか。

 映画にかこつけて、ちょっと厭世的に聞こえる話になってしまいました。
素直に観ればアリエッティから元気がもらえる映画です。
お父さんが頼りがいがあるのもジブリ映画としては異色?
(ポッドのように周りの物から何でも作りだす才能を持つお父さんは
めったにいないんじゃないでしょうか。)
後継者難に悩むスタジオ・ジブリ、初監督とはいえ米林監督、
風に揺れる蔦や花々など丁寧に動かして、肌理細かな演出をしてます。
でもなんか地味か(笑)。。。
                   (☆☆☆)
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by am-bivalence | 2010-09-03 23:50 | ファンタジー | Comments(0)

SCREEN111 ローマの休日

オードリー・ヘップバーンの魅力全開! 宮崎アニメの原型がここにも 参照サイト

 「午前10時の映画祭 何度見てもすごい50本」という面白い企画がスタートしました。
往年の名作・秀作50本を週代わりで朝10時の回に見せようというもの。
しかも値段は一般1000円とリーズナブル。全国25館で実施中。
これまでテレビ画面でしか見たことがなかった名作を大スクリーンで観るチャンス!です。
ただ、午前10時じゃなくて午後8時辺りなら平日でも観に行けるのに。。。
 ともあれ、まず行ってみたのが「ローマの休日」。
映画好きなら誰でも知っている名作なので、ネタバレ気にせず書きます。
観たことのない人はご注意下さい。


 「ローマの休日」、全編ちゃんと観るのは実は久しぶりです。
学生の頃以来。テレビで何度も放映されて断片的には観ていましたが、
意外にじっくり観る機会がありませんでした。
 今回改めて観ると、細かいディテールをすっかり忘れてました。

 この映画の魅力は何と言ってもこの映画が初主演となったオードリー・ヘップバーン。
有名な真実の口のシーン、グレゴリー・ペックが手のひらを隠してみせるのはアドリブで、
オードリーは本当に驚いているそうですが、実にチャーミング(笑)。

 でもこの映画、観ているうちにだんだん妙な感覚になってきました。
まるで宮崎駿アニメを実写で見ているような気がしてきたからです。

 そもそもヘップバーン演じるアン王女のキャラクターは
宮崎監督が好んで描くヒロインそのもの。
都会的で気品があり、純粋で可憐。
その一方で大胆なところがあり、芯の強さも持っています。
 船上のダンスパーティで悪役の秘密警察と乱闘になると、
王女はギターを武器に加勢する反面、
川に落ちた秘密警察の男には救命浮き輪を投げてあげる可愛らしさも見せます。
 オードリーの容姿、ブラウスにロング丈のスカート、細い腰は、
「ルパン三世 カリオストロの城」のクラリスそっくり。
 秘密警察の服装も黒服に黒帽子というのが、
「カリオストロの城」や「紅の豚」で出てきた秘密警察のイメージでした。
(もっともこの原型は「王と鳥」にあるんでしょうけど。)

 また、ローマ市街ではアン王女がちょっと好奇心を出したことから、
べスパで暴走する騒ぎを起こしますが、
このあたりは「魔女の宅急便」で初めて都会に来たキキを連想させます。
 街中の人を巻き込んで警察沙汰になってしまった騒動も、
結婚式へ急ぐ途中だったと言い訳すると、
怒っていた街の人たちは笑顔になり祝福してくれます。
この騒動の決着の付け方も、イタリア的というより宮崎的に感じてしまいます。
 この全体に漂うユーモラスで楽天的な雰囲気が実に宮崎アニメのようです。

 ストーリーの骨子となる、くたびれた中年男と清純な乙女の淡くて叶わない恋というのもまた、
古くは旧ルパン三世シリーズから「カリオストロの城」「紅の豚」等で見られる
宮崎監督好みのモチーフ。

 という訳で、こんなところにも原型があったのだと、
かなり宮崎アニメをオーバーラップさせながら観ていた「ローマの休日」なのでした。
                                        (☆☆☆☆☆)
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by am-bivalence | 2010-03-09 20:58 | ラブストーリー | Comments(0)