劇場で観た映画の覚え書き


by am-bivalence
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タグ:ファンタジー ( 29 ) タグの人気記事

 悲劇か、ハッピーエンドか、
   ファンタジーを信じられるかで解釈が全く違う
  公式サイト

 スペイン内戦と聞くと、私はある種の感慨を持ってしまいます。
高校の頃、ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」や、
写真家ロバート・キャパの「ちょっとピンボケ」を読んで興味を持ち、
スペイン内戦とは何だったのか、歴史を調べてみたことがあったからです。

 スペインは昔から政情が不安定で、内戦を繰り返しているんですが、
フランコ反乱による内戦は、いわばファシズムと反ファシズムの
第二次大戦前哨戦でした。
世界中から集まった義勇兵の善戦も空しく、
内戦はファシズムの勝利で終わります。
 それは、世界には不条理なことがたくさんあって、
正しい者が必ずしも報われるわけではないことを示した、一つの例でした。

 第二次大戦中のスペインという、
死が身近にありふれていた時代を背景にしたこの映画ほど、
現実と空想の世界の関連を描いたものは、珍しいのではないのでしょうか。
現実からの逃避と見られがちなファンタジーの側面を、
直接的に問いかけているのです。

(以下、ネタバレアリ)

 過酷な現実の中で、夢の世界へ入り込むオフェイリア。
嘘と苦痛の無い魔法の国に行くというのは、
本当に現実逃避として生み出されたものだったんでしょうか。
 着たくないドレスを汚したり、食事を抜かれた後に
迷宮内で御馳走に出会うのは、現実の意趣返しのように見えますが、
迷宮での体験は決して現実より心地良いものではありません。
最後の試練でも、オフェイリアが本当に逃げ出したいと思っていたなら、
弟を犠牲にしたのではないでしょうか。

 またオフェイリアは、マンドラゴラの根で母親を助けようとします。
それは成功したように見えましたが、
空想を受け入れるゆとりのない母親達によって
彼女の願いは砕かれてしまいます。
オフェイリアのファンタジーは現実を救いたかったとも思えるのです。
無力な幼い少女にとって、現実を変えるには
空想しかなかったのではないでしょうか。

 ラスト、オフェイリアの死は、他人には悲劇にしか見えませんが、
オフェイリア自身は幸福感に包まれて死んでいくのが救いでした。
それこそがファンタジーの力なんでしょうか。
 彼女の死を悲劇と見るか、ハッピーエンドと見るかは、
彼女の見た魔法世界の存在を信じるかどうかで分かれると思います。

 フランコのファシスト政権は、ドイツ、イタリア、日本が敗れ
大戦が終了した後も30年以上続きます。
映画では市民兵側が一旦勝利したように描かれていますが、
実際の彼らの運命は、その後も過酷だったはずです。
                          (☆☆☆)
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by am-bivalence | 2007-10-14 13:58 | ファンタジー | Comments(2)
 だんだん観るのがツラくなってきたシリーズ5作目  公式サイト

 ハリー・ポッター・シリーズも先月ついに、最終巻が出て話題となりました。
ニュースの数日後、近所の紀伊国屋で最終巻を見かけ、
ほんとに世界同時発売だったんだと、ちょっと驚きました。
 シリーズ完結で作品の評価も定まってくるんでしょう。
私は一巻を途中まで読んで挫折してますけど。。。

 映画も5作目になり、完結まであと2作、
事態は徐々に悪くなっていく予感を感じさせながら、進んでいきます。
オープニングはホラー映画のような演出。
映像も「アズカバン~」以降定番になった、ダークな色調で、
アンブリッジ先生のピンク以外、色が無いような映像が全編を覆っています。

 今回みどころは、アンブリッジ役のイメルダ・スタウントンでしょう。
いい年して全身ピンクの服で少女趣味を引きずりながら、
やることは陰険なおばさんを、存在感たっぷりに怪演しています。
これだけ見事に憎まれ役を演じたら、子供達に嫌われて
イギリスの街を歩けないんじゃないかと、心配になります。
 これに刺激されたのか、トレローニー先生役のエマ・トンプソンも、
スタウントンとの競演シーンで、哀れなトレローニー先生を
これまた熱演しているのが面白いところです。

 クライマックスのヴォルデモートとの対決は、
まるでスターウォーズのヨーダとデュークー卿のフォース戦のようです。
もう少し新鮮味を感じさせてくれたら良かったんですが。
 
 「炎のゴブレット」ではヴォルデモートを復活させるのに
なぜ、あそこまで手の込んだことをするのか、
ストーリーの中心となる部分が最後まで疑問でしたが、
今回もなぜヴォルデモートがあんなものを手に入れたがったのか、
欲しがっているものの正体が明らかになっても(というか、いっそう)、解りません。
 端的に言ってしまえば、プロットを無理やり
ミステリー仕立てにしているように見えてしまうのです。
これは映画のというより、原作の問題なんでしょう。

 今回で、孤立しがちなハリーの数少ない希望が打ち砕かれてしまいますが、
そのことが今後ハリーにどう影響していくのか、いかないのか、
期待して、いいんでしょうか。
そこが登場人物たちを単なるコマとしか扱っていないかどうかの
分かれ目のような気がします。

 毎回、期待させてはストーリーの核心部分を先送りしている、
そんな繰り返しに、だんだん観るのがしんどくなってきました。
 数少ない大作ファンタジー映画なのですから、予算もいっぱいあるんでしょう、
もっとがんばってほしいものです。
                    (☆
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by am-bivalence | 2007-08-06 22:38 | ファンタジー | Comments(8)
 不思議さんが闊歩する、大林ワールドがお好きな方はどうぞ  公式サイト

 私は仕事の関係で一時期、広島に住んでいたことがあります。
広島に引っ越して最初に行ったのが平和祈念公園、次に宮島、
その次に行ったのが尾道でした。
 大林宣彦映画のロケ地を見て回るのと、尾道ラーメンを食べるためでした。

 「転校生」が公開されてから、もう25年も経つんですか。
確か小林聡美の映画デビュー作で、その熱演が評判になりました。

 「転校生」は少年と少女の心がひょんな拍子で
入れ換わってしまうという、お話です。
誰でも思いつきそうな安直な設定ながら、
実際に体が入れ換わったら起こるだろうドタバタを(下ネタ含め)、
丁寧に描いて見せました。
入れ替わったことで互いの違いに気付き、相手を思いやれるようになれる、
そんな、ちょっと成長の物語でもありました。
大林監督想い入れの、レトロな尾道の町並みが映画に情緒を与えていました。
足の悪い学級委員長の浴衣姿を見送るショットで
少女への淡い憧憬を感じさせたのは、大林監督の真骨頂でした。
当時、元気の無かった邦画の中で、数少ない秀作でした。

 「転校生」の成功でその後、大林監督は尾道を舞台に映画を撮り続けますが、
後作はどれもファンタジック過ぎて、「転校生」がリリカルとリアルのバランスが
一番良かったように思います。
(ただ私が良かったと感じた部分の半分は、原作に負うところが大きいようですが。)


 「転校生」を大林監督が再映画化するという話を聞いて、
旧作のファンとしてはうれしくもありましたが、
なぜ、今になって自分でリメイク? というのが正直な感想でした。
しかも尾道を離れて長野を舞台にするというのは、
どんな心境の変化でしょう?

 謎はパンフレットの監督自身の序文を読んで解けました。
進めていた企画が頓挫して、急遽引っ張り出したのが
旧作のリメイクというわけですか。
"長野を舞台に映画を"と頼まれたから、ですか。
頼まれたら断れないんですね、大林監督。
でも、長野を舞台にしながら、"やっぱり尾道がいい"というのが透けて見えちゃいます。
 それに、"「転校生」のような映画を"と言われて、
「転校生」を撮っちゃうのは、まんまじゃないですか?

 ただし、そこは百戦錬磨の大林監督、単なるリメイクにはしていませんでした。
映画は後半、旧作とは違う展開を見せ、明るいエンディングだった旧作とは
ある意味、正反対の終わり方をします。
 しかしこの展開、入れ換わるという設定なら、ありえる可能性だし、
考え方によってはとても深いテーマになるのですが、
そんな掘り下げ方はほとんど無いまま、映画は終わってしまいます。
だいいちこの展開では、元に戻ったとしても心から喜べないじゃないでしょうか。
 そこに深いテーマがあると思うんですが。。。

 タランティーノ(失礼!)のような映画マニアの監督が商業的拘束(ヒットさせること)
の圧力下で(観客を意識しながら)撮った映画は、しばしば傑作が生まれますが、
そんな監督がひとたび、拘束を離れて好きに撮ってしまうと、
(マニアック過ぎて)凡打に終わってしまうことがままある、
と言う評を読んだことがあります。
大林映画には、時々そんな雰囲気を感じます。
 この映画には、恋人の一美にキェルゲゴールを読ませようとする
エキセントリックな彼氏や、ヒロシ演じる妙なセリフ回しのバカ息子など、
いろいろ「不思議さん」が出てきます。
ヒロイン一美自身も物語世界に入り込んでしまう、「不思議さん」という設定です。
現実を超えた、そんな大林ワールドがお好きなら、この映画は楽しめるかもしれません。
                                             (☆)
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by am-bivalence | 2007-07-06 23:19 | ファンタジー | Comments(6)
 「カリブの海賊」がなぜアジア?と考えさせない、
 エンドタイトル後まで見逃せない娯楽佳作
  公式サイト

 実は私、帆船ファンでもあります。
日本丸や海王丸が横浜に寄港して一般公開されるたび、
ワクワクしながら見に行きました。
中学の頃ホーンブロワーシリーズを読み始めて以来、帆船は憧れでした。

 ホーンブロワーシリーズとは、18世紀イギリス海軍の艦長
ホレイショ・ホーンブロワーの活躍を描いたC.S.フォレスターの海洋冒険小説です。
 革命後のフランスとイギリスが対峙していた大航海時代、
船乗りのくせに船酔いしやすく、高所が苦手という、
どこか人間的なホーンブロワーが、
フランス海軍や、時には海賊(私掠船)を相手に、
自艦を指揮して、信頼する部下と戦い抜いていきます。
 帆船による砲撃戦や、艦上の切り込み戦などは
生き生きとした描写で、目に浮かぶようでした。

 映画「マスター・アンド・コマンダー」は、まさにホーンブロワーの世界を
CGを駆使して忠実に映像化していました。
長年空想していたシーンを目の前に再現してくれたことに、感動しました。
 「パイレーツ・オブ・カリビアン3」も「マスター・アンド・コマンダー」と同じ
ILMがSFXを担当していて、リアルで迫力ある砲撃戦を見せてくれます。

 チェーン弾を使ってマストにダメージを与える描写や、
戦艦の内壁が赤く塗られているところ(戦闘で飛び散る血で
兵が戦意を消失しないため赤くしたといわれる)、
操艦時に相手の風上に回ろうとしたり(帆船戦では風上の船が有利)、
砲撃戦で飛び散る木片(多くの兵は砲弾よりもこれで負傷する)、などは感涙ものです。

 と、マニアックな見方はとにかく、「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズは
毎回、娯楽映画としてレベルが高く、帆船ファンならずとも楽しませてくれます。
「3」ではカメオ出演で顔見せ程度と思っていたキース・リチャーズが、
わずかのシーンながら圧倒的存在感で、驚きです。
 ただ、「3」は「1」,「2」と比べ、少しボルテージが下がっているような気がします。

 前半、デイビィ・ジョーンズ・ロッカーに囚われている
ジャック・スパロウの描写が映画のテンポを止めてしまっていたり、
中盤、様々な人物の裏切り、意図が入り乱れすぎて
ストーリーがだれてしまうようなところがあります。
クライマックスの大艦隊を目にして、総力戦が始まるかと思えば
さにあらずだったり、大海賊が9人も集まりながらほとんど活躍しない点、
デイビィ・ジョーンズと女神の因縁の結末が中途半端に見える点なども、
少し大風呂敷を広げすぎた感じもあります。
 ただ、ウィルとエリザベスの辿る運命は、大団円とは行かないのが
ちょっと予想外で、これまでのシリーズとはちょっと違った後味を残します。
(本当に、エンドタイトル後まで見逃せません。)

 一方で、映像イメージはところどころ、ハッとさせられるものがあります。
「2」のデイビィ・ジョーンズやその配下のビジュアルもよく出来ていると思いましたが、
今回はデイビィ・ジョーンズ・ロッカーでの白い平原上の帆船、砂の海を進む帆船、
世界の果てで滝になっている海など、インパクトのあるイメージを
うまくストーリーの中に組み込んでいて、秀逸でした。
                          (☆☆
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by am-bivalence | 2007-06-04 00:34 | アクション | Comments(6)

screen21 蟲師

 やっぱり、餅は餅屋になのか  公式サイト

 私が学生の頃、漫画家志望の友人が、
 「すごい漫画家がいる」
と言って一冊の単行本を見せてくれました。
大友克洋「ショート・ピース」でした。

 大友克洋は、その正確無比なデッサン力とシャープなタッチで、
リアルに人物、風景を描き、デビュー以来、漫画界に多大な影響を与えています。
 その画力が当時も今も、圧倒的であるだけでなく、
氏の描く世界も、現実を細かく描写することで、
超現実的な世界をリアルに感じさせる、個性的なものでした。

 やがて氏の活躍の場は漫画から
「AKIRA」、「MEMORIES」などのアニメへと移っていきます。
そこでもリアルな絵と、リアルに超現実的世界を見せる手腕は衰えず、
ファンを楽しませてくれました。

 その大友克洋が実写を撮る、しかも人の漫画を原作にして。
これは注目しないわけにはいきません。
 ですが。。。

 蒼井優演じる淡幽の活躍シーンはよかったです。
文字を新体操のリボンのように操るイメージは、さすがです。
音響効果も悪く無かったです。
 でも。。。

 出てくる日本の自然は、リアルといえばリアルですが、
美しくないのです。
もっと美しい風景が、日本には幾らでもあるし、美しく撮れるんですが。

テンポも緩めで、「AKIRA」や「スチームボーイ」で見せた勢いは無いです。

江角マキコの役柄が難しいのは判りますが、演技が浮いてます。

ラストは私の理解力が足りないのか、どう決着がついたのかよく解りませんでした。

 。。。残念です、大友先生。

 今まで何人か、メジャーなアニメ・クリエーターが実写映画を手がけていますが、
成功しているとは言い難いものばかりのような気がします。
 絵を描くのと、カメラで撮影するのとは、別物なんでしょうか。
                            (☆☆)
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by am-bivalence | 2007-04-02 22:02 | ファンタジー | Comments(2)
 荒唐無稽なクライマックスの奇談   公式サイト

 よく、人間も異性を興奮させる"フェロモン"を出していて、
無意識にその臭いに惹き付けられるんだというお話を聞きますが、
どこまで本当なんでしょう?
 もしそんな臭いがあったとしても、まさか、
それを嗅ぐと我を忘れて夢中になる、なんてことは起きないでしょう。
 そんなものがあったなら、その手のことには精力を惜しまない人類のこと、
とっくの昔に見つけ出して、巷にあふれるHビデオなどと一緒に、
官能香水として売られてますよ。
でなければ、ドラッグとしてアンダーグラウンドで高値取引されているハズです。
 気分をそそる香水とか、惚れ薬の類は、
あったらいいナ~という人間の願望の表れであって、
言ってみれば大人の「ドラえもんの道具」でしょう。
「服が透けて見えるメガネ」と一緒です。

 ですから、超人的嗅覚を持つグルヌイユが
全ての人を魅了してしまう香水を作るこの物語は、寓話です。
映画の語り口もそんな感じです。
ただ、グルヌイユが作った香りの効果は、
CMなどから連想されるものとちょっと違っていました。

(以下ネタバレ)
 グルヌイユが作った香水は、官能的な気分にさせるものではなくて、
その人を愛さずにいられないカリスマ性のエキス、といったもののようです。
 だからクライマックスの処刑場が、大交歓会と化すシーンは、
最初は、官能的な雰囲気ではありません。
それが唐突に全員が服を脱ぎだすので、観ていると呆気にとられてしまいます。
もう少しうまくウソをついてくれよ、というのが正直なところでした。
 原作を読んでいないので分かりませんが、
なんでこんな物語が世界中でベストセラーになったの?
と思ってしまうような映画でした。

 それでも一つ、印象に残ったのは、
臭いでしか世界に興味を持てなかったグルヌイユの孤独の深さでした。
彼は生まれてから誰にも愛されたことがないので、
愛されることを知らず、自分が孤独であることも気付かないのです。
そこに彼の悲劇的なところがありました。
そしてただただ、自分を虜にした香りを手にすることのみに熱中していくのです。

 グルヌイユの犯行が発覚する場面、どこかで見た憶えがあると思ったら、
思い出しました。 
名作「太陽がいっぱい」のラストです。
そういえば「太陽がいっぱい」のリプリーも、貧困層の出身で孤独な青年でした。
                                        (☆☆)


参照映画:「ラビリンス 魔王の迷宮」  ジム・ヘンソン監督 1986年 アメリカ
   ここで注目したいのは、悪臭の沼(そんな名前だったと思う)を通過する場面です。
  沼から悪臭のボコボコ湧き出す音が、下痢したようなオナラの音なんです。
  音響効果まで使って臭いを表現した斬新さが、ジェニファー・コネリーの可憐さと供に
  (どういう組み合わせだ!)、印象に残っています。
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by am-bivalence | 2007-03-10 00:12 | ファンタジー | Comments(4)
 原作のイメージに忠実に造られた、映画の新しい指標  公式サイト

スターウォーズ旧3部作の完結編「ジェダイの復讐」が公開されたのは1983年でした。
タイトル「ジェダイの復讐」を巡るゴタゴタについては、公開前話題になりました。
タイトルが「Revenge of the Jedi」から「Return of the Jedi」に変わったとき、
ルーカスも『指輪物語』の影響を受けていたことが判って、興味深く思ったものでした。
 そう言えば、冒険によってルークは右手を、フロドは指を失います。
かれらが冒険により、もう元には戻れなくなったということの象徴でしょうか。

 原作「指輪物語」の読後感は"過ぎ去ったものへの哀悼"でした。
フロドたちの活躍は最終的には過去の伝承として語られ、
アラゴルンたちのその後も歴史として追補に記述されています。
トールキンは神話などの文献研究から、消えて今は無いものに思いを馳せていたのでしょう。
あるいは、大戦で犠牲になった人々を思ったのかもしれません。
 どんなに偉大な功績も、事を成し終えて歴史となると現在から離れていき、
人の記憶の隅に追いやられていくものなのです。
人は今を生きているのですから。
 映画も、サウロンを倒し ただ大団円で終わるのではなく、
冒険によって元の生活に戻れなくなったフロドが中つ国を去るまでを
哀感を込めて描いています。
 あくまで原作のイメージを大切にした作り方で、
エモーショナルな面では三部作中一番です。
(エオウィンが山瀬まみだったのが、残念なんですが。)

 スペシャル・エクステンデッド・エディションは4時間をゆうに超えていて、
三部作中唯一、休憩の入るものでした。
追加されたシーンは、サルマンの最後、死者の道から帰還し船に乗り込むアラゴルンたち、
ガンダルフとナズグルの対決、エオウィンの治療とファラミアとのシーン、
黒門での交渉、オーク部隊に巻き込まれるフロド達、といったところです。
これと比べると劇場公開版は、映画のキーとなるシーンが少なからずカットされており、
劇場公開用に時間を短縮するのにかなり苦労したのが見て取れます。

 今回三部作を見直してみて、初見の印象以上に
良く出来た映画だったことを再認識しました。
今後も、「ロード・オブ・ザ・リングよりも」とか、「ロード・オブ・ザ・リングみたいな」と
表現される、指標映画であり続けるのではないでしょうか。
                               (☆☆☆☆)
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by am-bivalence | 2007-02-25 22:04 | ファンタジー | Comments(0)
 絶望的な籠城戦の演出が秀一な、シリーズ最高作  公式ホームページ

 ロード・オブ・ザ・リングシリーズのヒットで良かったことは、
「指輪物語」の解説書が数多く出たことでした。
 昔「指輪物語」を読んだ頃は、そんなものは全くなかったので、
「指輪物語」の著作の背景、トールキンの人物像は、巻末の解説ぐらいでしか
知りようがなかったのです。
 ですからエント族がホビット族同様、トールキンの独創とは知らずに、
どこかの伝承から引用したのだろうと思っていました。
それほど、悠長に話し動く木エント族には、
民話にでてきそうな文学的リアリティーがありました。

 「ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔」のみどころは
なんと言ってもヘルム峡谷の籠城戦です。
アラゴルン達の反対にもかかわらず、望みのない籠城に向かっていき、
圧倒的多数の敵に追い込まれていく様は、とてもスリリングで圧巻です。
これで最終作「王の帰還」への期待が一気に高まりました。
 (ただひとつ、個人的に非常に残念だったのは、
気に入っていたキャラクター、エオウィン姫役のミランダ・オットーが、
私にはどうしても山瀬まみに見えてしまうことでした。)

 「二つの塔」スペシャル・エクステンデッド・エディションは
「旅の仲間」とは違って、幾つものエピソードが復活しています。
特に次回作へと繋がるエンディング部分にいろいろ追加されているようです。
最近は長くてカットしたシーンをDVDに入れるのが流行りなので、
「旅の仲間」の成功で、予備のシーンを撮る余裕が出来たのでしょうか。
                                    (☆☆☆☆)


 参照映画:「The Hobbit」 Director:Arthur Rankin Jr. (1977)
    これはアメリカでテレビ放映された「指輪物語」の前の物語、
   「ホビットの冒険」のアニメ版です。
    実はこのアニメ、日本で製作され、製作には現スタジオ・ジブリのスタッフが
   関わっているそうです。
   国内ではDVDが発売されておらず、本当は私も設定画ぐらいしか見ていません。
    しかし、ペン画調の作風は独特で、(当時としては)クオリティーが高く、
   ぜひ一度見てみたいと思っている作品です。
   「ロード・オブ・ザ・リング」のヒットで、日の目を見ないかと期待していたんですが。。。
    どこか国内で販売してもらえないでしょうかね。
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by am-bivalence | 2007-02-19 00:23 | ファンタジー | Comments(0)
 驚くほど通常版と差がない  公式ホームページ
 
 私が「指輪物語」を読んだのは、1978年製作ラルフ・バクシの長編アニメ
「指輪物語」の公開以前だったと思います。(年がばれる。。。)
映像化された「指輪物語」を見たくて、
バクシの「指輪物語」を観に行った憶えがあります。

 今でこそファンタジー文学はテレビゲームのRPGや、
ハリーポッターの影響で認知されるようになりましたが、
あの頃のファンタジー文学はマイナーもマイナーな存在でした。
魔法だの妖精はリアリティーがない絵空事で、
ファンタジーは現実逃避物語のように見られていました。
(この頃連載開始した漫画版「風の谷のナウシカ」の世界が
アンチユートピアだったのは、現実逃避と思われたくないという
意図もあったような気がします。)

 私もファンタジー文学が好きだったわけではありませんが、
「指輪物語」を読むきっかけは、一人の作家が物語世界の歴史から言語体系まで
構築してしまう、気の遠くなりそうな作業に惹かれて、でした。
アーサー王伝説でも読むような感覚でこの大長編を読み出したのですが。。。
 恥ずかしながら、途中からストーリーを追い切れなくなっていました。

 で、「指輪物語」が「ロード・オブ・ザ・リング」として映画化されると言う話を聞いたとき、
"ちゃんと三部作公開してくれるんだろうな"というのが正直な思いでした。
 なにせ「指輪物語」の初映像化作品、ラルフ・バクシの「指輪物語」は、
前後編で製作すると言って第一部を公開しながら、
第二部は日本では公開されず終いだったのです。
(第二部は後に製作され、アメリカではテレビ映画として放映されたそうですが。
まあ、第一部の出来が不評で、興行成績もひどい物だったらしいので、
無理もないでしょう。)
「ロード・オブ・ザ・リング」の監督ピーター・ジャクソンも、
ホラー映画での評価はありましたが、ほとんど無名に近い監督でした。
 しかしそんな危惧は全く無用だったようで、「ロード・オブ・ザ・リング」はヒットし、
三部作は日本でも無事公開されました。

 さて、スペシャル・エクステンデッド・エディションは
DVD用に30分ほどの追加シーンを入れた特別編で、劇場公開したのは日本だけです。
 実際に観てみると30分も延びているのに、
ほとんど通常版と印象が変わらないのに驚きました。
もう少しカットされたエピソードがあるのかと思っていたのですが。
それだけ劇場公開の完成度が高かったということでしょうか。
それにしても、やはり劇場で観る映画は音響などの迫力が違います。
モリアの坑道のシーンなどは楽しめました。
 ただ、もともと2時間58分の長編なのに、さらに30分長くなっても
imtermission無しなのはちょっと辛いです。
観る機会があるなら、体調万全で行きましょう。
                     (☆☆)


参照映画:「ロード オブ・ザ リング 指輪物語」 ラルフ・バクシ監督 1978年
   役者を撮影してその動きをトレースする手法(今のCGで言うモーションキャプチャー
  に似ている)で造られたアニメーション。後半予算が無くて、
  画像処理したライブ映像をそのまま使ってたりしてます。
  ヒットしなかったのも むべなるかな、です。
   ただ、「ロード・オブ・ザ・リング」と似た構図のカットが幾つかあって、
  (街道で黒の騎手から隠れるシーン、黒の騎手が洪水に呑まれるシーン、
  アラゴルンの初登場の格好など)
  ピーター・ジャクソンも参考にした気配が?
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by am-bivalence | 2007-02-14 23:24 | ファンタジー | Comments(0)