劇場で観た映画の覚え書き


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by am-bivalence | 2007-08-02 22:22 | 人間ドラマ
 「バベル」「21グラム」の原点であり、原型

 私の生活圏内のシネコン、CINEMACITYでは、
定期的に過去の作品のアンコール上映を企画します。
 今回、気鋭のメキシコ監督選として、イニャリトゥ監督の
「アモーレス・ペロス」が上映されたので、これを逃さず観に行きました。
(私としてはアルフォンソ・キュアロン監督の
「天国の口、終りの楽園。」を観たかったのですが。。。)
                         (映画館サイト参照)
 アンコール上映なので公式サイトがありません。
概要を書いておきます。

「アモーレス・ペロス」(2000年・メキシコ・153分)
 監督、制作:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
 脚本:ギレルモ・アリアガ

ストーリー:
 映画は白昼、街中を車が猛スピードで逃走していくシーンで始まります。
車には若者二人が乗っていて、後部シートには血だらけの黒犬が横たわっています。
追いかけてくるトラックを振り切ろうとして、車は赤信号を無視し、
事故を起こします。

 映画はこの事故に関わった男女3組のオムニバス形式となっています。
1話目は事故を起こした無職の若者の物語。
暴力的な兄のDVに悩む兄嫁に思いを寄せる彼は、
闘犬で稼いだ賞金で一緒に街を出て行こうと働きかけます。
遂に兄嫁と関係を持って、計画はうまく行くように見えましたが。。。
 2話目は不倫相手との生活を手に入れ、仕事も好調だったモデルが、
事故に巻き込まれて大怪我を負い、凋落していく顛末。
 3話目は事故現場にい合わせた浮浪者風の初老の男。
瀕死の黒犬を拾っていくことが、彼の人生を変えるきっかけを作ります。
この男は昔、大学教授から革命家を志しましたが挫折し、
今は浮浪者のような生活をしながら、影で殺し屋もやるという、ちょっと突飛な人物。
(依頼されたターゲットを尾行する顔つきがいかにも殺し屋風で、笑ってしまいます。)
革命のために捨てた妻娘が忘れられず、娘への愛を募らせていきます。


 「アモーレス・ぺロス」とはスペイン語で「犬のような愛」という意味だそうです。
各話とも犬が重要な要素、象徴として出てきます。
 映画は3組の愛の物語なんですが、不倫だったり、一方的想いだったり、
どれも報われない利己的、衝動的なもので、必然的に悲劇的結末になります。
(「ぺロス」は俗語で「最低な」という意味もあるらしい)*後注

 前半の若者のエピソードは、切れやすく刹那的で傲慢な
チンピラ風若者達に全く共感できず、
正直、観て失敗かと思っていましたが、後半は引き込まれました。

 処女作にはその作家のすべてがあると言われますが、
イニャリトゥ監督のこの映画はまさにそんな典型的例のように見えます。
貧富も含め様々な階層の人物を描くオムニバス形式、
時間軸を縦横に動かす語り口、混沌とした中の荒々しさ、
人を突き動かす情念を描き、切ない後味を残すスタイルは、
イニャリトゥ監督のその後の2作に共通するものです。

 特に本作では各エピソードで、別のエピソードの登場人物が
一瞬現れるような演出がされており、
このエピソードは、あのエピソードではこの時の話だったのかと
解る構造になっています。
 それが、年齢も生きる社会も異なる様々な人物が
実は同じ時間、空間を生きて、共有していることを感じさせるのです。
 本作は脚本を36回も書き直したというのも、うなずけます。

 イニャリトゥ監督は「バベル」でもこんなことがやりたかったのかと、
ちょっと納得しました。
                                  (☆☆


参照映画:「灰とダイヤモンド」 アンジェイ・ワイダ監督 1959年 ポーランド
 時間と空間の共有を感じさせる演出と言えば、
この古典的映画を思い出します。(古すぎ?)
 政情不安定な終戦直後のポーランドで、
テロリストの若者が政府要人を暗殺するという物語(だったと思います)。

 若者が要人を街角で射殺したとき、要人が若者に倒れかかります。
思わず抱きとめた若者の背後で、祭りの花火が上がるのです。
その花火を、様々な人が、いろいろな場所で、
それぞれの想いを胸に見つめているという有名なシーンです。

 確か、大林宣彦監督の「転校生」(1982)でも、
会うのを禁じられた主人公達が、
同じ花火を別々の場所で見上げている、情感あるシーンがありました。

*注)気になったのでちゃんと調べてみました。確かにそういう意味がありますが、
  辞書によって、かなり表現がまちまちです。俗語、口語表現だからでしょう。
   ~de perros:形)最低な、最悪な、悲惨な、みじめな、不幸な
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by am-bivalence | 2007-05-12 00:23 | 人間ドラマ | Comments(12)

screen25 バベル

 運が悪い方向に向かっていく緊張感で見せる"オムニバス映画"  公式サイト

 イニャリトゥ監督は前作に「21g」という哲学的タイトルを使っていましたが、
今回も哲学的意味を持たせた凝ったタイトルを冠しています。
 「バベル」というタイトルに込めた意味で、
テーマは「言語の壁」とか「相互理解」なんだろうと勝手に想像していましたが、
実際は、「言葉があっても生じるコミュニケーション不全」や
「人の愚行が生み出す誤解」だったようでした。
 映画の内容とタイトルが一致しているようで、
一致していないようなところも、前作同様です。

 「21g」では、1シーンごとに時制が違うのじゃないかと思うほど、
これでもかと、時系列をいじっていたイニャリトゥ監督、
(まあ、それでも観ていてストーリーが解るのは、すごいのかも知れませんが。)
素直に時系列でプロットを見せない手法は、本作でも控えめながら健在です。

 ただ、前作では心臓移植を通して、
無縁だった3人がめぐり合うことになりますが、
「バベル」では4組のエピソードが互いに密接に関連しあう訳でもなく、
ほとんど独立した物語となってしまっているのが残念です。
「アメリカ人観光客狙撃事件」を軸にした、
単なるオムニバス映画といった印象で終わっています。

 映画宣伝では現代世界情勢を考えているような、
社会派映画のように印象付けていますが、
描かれる問題は、ほとんど個人のレベルに止まっている様に見えます。
強いて言えば、社会派的なのはメキシコ人の不法就労問題ぐらいでしょう。
これを観て「世界はまだ変えられる」のか、と想いを巡らすには、
ちょっと無理があるような気がします。

イニャリトゥ監督の作品は一回観ただけでは、
なかなか理解できそうにない、含みを持った複雑な部分があるのですが、
かといって、何度も観直したくなるかというと、微妙です。
もう一度観直す機会があれば、印象が変わるのかも知れません。

(以下、ネタバレ)
 登場人物達が自分の枠を捨てて、理解し合えるのは
「生命の危機」を感じたからのようです。
 アメリカ人夫婦は妻の死を予感して、
心が離れてしまう元になった子供の死に対する思いを語り合います。
モロッコの少年は兄の命のために自分の過ちを認め、警察に投降し、
メキシコ人の乳母は砂漠から脱出するために、
自分が逮捕されることもかえりみず懸命になります。
 「生命の危機」に直面しなかった日本人親子の関係は
結局何も変化していないように見えます。
 人は命がけでなければ、解り合えないものなのでしょうか。
                            (☆☆)
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by am-bivalence | 2007-05-06 22:11 | 人間ドラマ | Comments(2)
 なぜか観た誰もが過去を振り返ってしまう、肉親との愛情物語  公式サイト

 東京タワー、長いこと行ってないなあ。
東京タワーって都心にある割にはアクセス悪いんですよね。
最後に行ったのは十年以上前だったと思います。
 子供の頃、家族で行った時は、階段を使って展望台に登るコースがありました。
鉄骨の間から下がのぞき見えるようで、怖くて行けませんでした。
大人になってから東京タワーへ行ったとき、挑戦しようと思ったのですが、
もう閉鎖されていて、一般は入れないようでした。

  「スタンド・バイ・ミー」や「三丁目の夕日」を観て 子供の頃を思い出すように、
この映画を観ると、誰もが我が身を振り返ってしまうようです。
私も、子供の頃のことや、親のことを思い出し、
親孝行どころか親不孝していることを考えて、ちょっと複雑な想いでした。

 私はまだ原作を読んでいないのですが、
松尾スズキの脚本は飄々としていて、笑いや涙も力が抜けた、自然体です。
だから、号泣させてくれるというわけでもありません。

 オカンもボクも、お金には苦労していたはずですが、
そういったことはさらりと流しています。
 オカンとオトンの関係は微妙で、
別居しているのですから、愛憎あっていいはずなのに、
そこには触れず、愛情のみに焦点をあてています。
 そんな、いい思い出だけ残った昔の記憶のような映画だから、
純粋に、肉親の無償の愛情、無条件の信頼を
思い起こさせてくれるのではないでしょうか。

 オカンの抗癌剤治療は痛ましく、
親にあんな思いをさせたくなかったという苦しみが胸を打ちます。

オカン役の親子共演も話題ですが、二人を比較するのは酷でしょう。
樹木希林の存在感は別格です。
                   (☆☆)
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by am-bivalence | 2007-04-21 10:31 | 人間ドラマ | Comments(0)
 暴君を造ったのは誰か  公式サイト

 かつて、フィリピンのマルコスを後ろ盾していたのはアメリカでした。
オサマ・ビンラディンをアメリカが援助していたのは、
アフガニスタンに侵攻したソ連に対抗するためでした。
 イディ・アミンはイギリス、イスラエルに支援されて
クーデターによりウガンダ政権に就きます。
国民に広く支持されて始まったアミン政権も
影で行われていた敵の粛清がエスカレートしていき。。。

 本作品が注目されたのは、なんといってもアカデミー主演男優賞をとった
フォレスト・ウィテガーの演技でした。
 「人食い大統領」アミン(本当はアミンは菜食主義で、
鶏肉ぐらいしか食べなかったと言います)を、
人間的魅力も持った人物として、存在感たっぷりに演じています。
ただ、好人物に見えたアミンが、権力を得て暴君になっていく過程が
もう一歩踏み込んで描けなかったように思います。
(これは俳優のせいではないのですが)
 全編、粒子の粗いフィルム(16mm?)で撮影されていて、
低予算映画であるのが分かるのですが、
こんなマイナーな映画でも主要アカデミー賞を得られたのが
ちょっと新鮮ではあります。

 この映画、本当の主演はアミンの主治医となる
スコットランド出身の青年医師なんですが、
この男がどうしようもない愚かな若者にしか見えず、
私には感情移入できませんでした。
 彼は最初、農村での医療活動に来て、この国の貧しさは知っているはずですが、
アミンの演説に心酔して、プールサイドでパーティを繰り返すアミン一派に
違和感を抱きません。
裏切り者とみなされた人物が次々と粛清されていくのに恐怖しても、
下半身のだらしなさで背信行為に及びます。
そして、そのことで自分が抜き差しならぬ事態になっているという自覚が無い。
 最後に残酷な報いを受けても、私が同情できたのは、
彼を助けるために巻き込まれた同僚の医師の方でした。

 最後の空港売店の場面で、アミンと青年医師の交わす会話は
互いを的確に批判しています。
稚拙な能力しかないまま権力を握った人間の愚行、
それをパワーゲームとして安直に利用し、うまく行かないと切り捨てようとする先進国。
この構図は今も変わらないように見えます。
 「スコットランド最後の王」が、本当に最後であることを祈ります。
                                  (☆☆)
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by am-bivalence | 2007-03-21 21:49 | 伝記 | Comments(6)
 身近な例で、司法の機能不全を告発する力作  公式サイト

 気になる映画が面白いのか、判断つきかねる時に、
私はネットで満足度ランキングを参考にすることがあります。
多くの人が満足していれば、それほどハズレではないだろう、という訳です。
 私が参考にするサイトは二つ、
ムービーウォーカーの「見てよかったTOP10」と、
映画生活の「満足度ランキング」、「クチコミ」情報です。
(ただ、映画生活のランキングは、ちょっと怪しげな部分があります。
単館上映作品が、数人の最高評価で上位に来たりします。
クチコミも、誰でも何でも書き込めるため、玉石混淆です。)

 ランクを見ていて、前から気になっていたのが、
「それでもボクはやってない」でした。
ここのところ、どちらのサイトでも上位にランクされ続けているんです。
これは放って置けません。
 上映期間が終わる今頃になって観に行ったんですが、
これが評判に違わず、いい作品でした。

  この映画を観ると、痴漢に間違われる事が、いかに深刻な事態を招くか判ります。
取調べで痴漢行為を否認し続けると、何ヶ月も拘留されることもあります。
留置所の処遇、人権は、刑務所と大して変わらないのが実情なので、
その間は実質、刑を受けているようなものです。
 保釈金を払って出ようとしても、その金額は百万単位です。
それでも無実を訴えて、裁判に持ち込んでも
裁判官は最初から検察側寄りで、99%が有罪になる。。。
 映画はそんなちょっと怖い、痴漢冤罪事件の実態を
丁寧に追っていきます。

 映画では、主人公の電車内での事件場面を見せません。
本当は何が起こったのか、観客にも分かりません。
それが担当女性弁護士の被告に対する当初の疑惑も
観客に違和感を持たせません。
裁判での証言の食い違いも、予断を許さない緊張あるものにさせています。

 実際に痴漢被害で苦しんでいる女性も多いでしょう。
物証のほとんどない痴漢事件に対して、推定無罪を厳格に当てはめてると
多くの事件が無罪で終わってしまいます。
勇気を持って告発した女性の行動が無駄になります。
どうも最近の痴漢裁判は、そういった事件に対する社会的批判の高まりから、
被害者の証言だけでも罰する傾向になってきたようなのです。
それが冤罪を増やすという歪を生んでいます。
 この問題、根が深いです。

 官僚的な裁判官が実質的権限を握る現状の裁判制度、
誰もが自分の職務を忠実に行ってるのに、冤罪を生み続けるシステム、
観終っても、明るい気持ちになれない映画ですが、
この実態を知っただけでも意義がありました。
                        (☆☆☆)
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by am-bivalence | 2007-03-17 09:04 | 人間ドラマ | Comments(4)
 荒唐無稽なクライマックスの奇談   公式サイト

 よく、人間も異性を興奮させる"フェロモン"を出していて、
無意識にその臭いに惹き付けられるんだというお話を聞きますが、
どこまで本当なんでしょう?
 もしそんな臭いがあったとしても、まさか、
それを嗅ぐと我を忘れて夢中になる、なんてことは起きないでしょう。
 そんなものがあったなら、その手のことには精力を惜しまない人類のこと、
とっくの昔に見つけ出して、巷にあふれるHビデオなどと一緒に、
官能香水として売られてますよ。
でなければ、ドラッグとしてアンダーグラウンドで高値取引されているハズです。
 気分をそそる香水とか、惚れ薬の類は、
あったらいいナ~という人間の願望の表れであって、
言ってみれば大人の「ドラえもんの道具」でしょう。
「服が透けて見えるメガネ」と一緒です。

 ですから、超人的嗅覚を持つグルヌイユが
全ての人を魅了してしまう香水を作るこの物語は、寓話です。
映画の語り口もそんな感じです。
ただ、グルヌイユが作った香りの効果は、
CMなどから連想されるものとちょっと違っていました。

(以下ネタバレ)
 グルヌイユが作った香水は、官能的な気分にさせるものではなくて、
その人を愛さずにいられないカリスマ性のエキス、といったもののようです。
 だからクライマックスの処刑場が、大交歓会と化すシーンは、
最初は、官能的な雰囲気ではありません。
それが唐突に全員が服を脱ぎだすので、観ていると呆気にとられてしまいます。
もう少しうまくウソをついてくれよ、というのが正直なところでした。
 原作を読んでいないので分かりませんが、
なんでこんな物語が世界中でベストセラーになったの?
と思ってしまうような映画でした。

 それでも一つ、印象に残ったのは、
臭いでしか世界に興味を持てなかったグルヌイユの孤独の深さでした。
彼は生まれてから誰にも愛されたことがないので、
愛されることを知らず、自分が孤独であることも気付かないのです。
そこに彼の悲劇的なところがありました。
そしてただただ、自分を虜にした香りを手にすることのみに熱中していくのです。

 グルヌイユの犯行が発覚する場面、どこかで見た憶えがあると思ったら、
思い出しました。 
名作「太陽がいっぱい」のラストです。
そういえば「太陽がいっぱい」のリプリーも、貧困層の出身で孤独な青年でした。
                                        (☆☆)


参照映画:「ラビリンス 魔王の迷宮」  ジム・ヘンソン監督 1986年 アメリカ
   ここで注目したいのは、悪臭の沼(そんな名前だったと思う)を通過する場面です。
  沼から悪臭のボコボコ湧き出す音が、下痢したようなオナラの音なんです。
  音響効果まで使って臭いを表現した斬新さが、ジェニファー・コネリーの可憐さと供に
  (どういう組み合わせだ!)、印象に残っています。
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by am-bivalence | 2007-03-10 00:12 | ファンタジー | Comments(4)
 癒せない心の闇を抱える人に。。。  公式サイト

 「硫黄島からの手紙」のヒットで関連書籍がいろいろ出て、
ちょっとしたブームになっています。
私も一冊、硫黄島の激戦体験者の手記を読んでみましたが、
一つ心を動かされたのは、生き残ったことを恥じる感覚でした。
あの激戦を生き残ったことを幸運に思うのではなく、
玉砕していった仲間を思って、死ななかった自分を恥じ入りながら生きていく感情は、
そんな辛い体験をしていない人間に、安易な共感を許さない壮絶なものがあります。

 「あなたになら言える秘密のこと」、
邦題はちょっと軽く、おしゃれな感じがしますが、気軽な気持ちでこの映画を観ると、
後半語られる内容の重さにめげてしまうかもしれません。
主人公ハンナの抱える人に言えない過去は、とても深刻で凄惨な体験でした。
私はそれなりに身構えて観たつもりでしたが、
やはりその体験談には 打ちのめされる気がしました。

 イザベル・コイシェ監督は、この作品が出来たのは
あるドキュメンタリーに携わったことがきっかけだったと言います。
ハンナの語る体験は信じ難いほど非人間的仕打ちですが、
実際にあったことを元にしているのでしょう。
 この作品中で、カウンセラーのインゲ女史は、ハンナのような人を
「生きていることを恥ずかしいと感じる人たち」と言います。
幸福なことに後ろめたさを感じる人たち。
硫黄島同様、悲惨な体験をしていない人間が
安易に理解したように語るのは はばかられるようにも思えます。
 ただ、ハンナは特殊な存在ではなく、
児童虐待、拉致監禁などといったことで、
現代日本でも起こりうることではないでしょうか。
そして、誰でも多少は持つであろう心の闇で共感することはできる様な気がします。

 映画は一見ハッピーエンドで終わりますが、
ハンナの問題が解決された訳ではありません。
ハンナの心の闇は消えたわけではなく、
それを生涯引き連れながら生きていくことになるのでしょう。
 この作品には冒頭、途中、最後に、少女のモノローグが入りますが、
少女が誰であるか最後まで説明されません。
しかし少女がハンナの中のトラウマの声であるのは明らかで、
最後にモノローグが入るのも、ハンナがずっと
彼女を抱え続けていることを示しているのです。
                            (☆☆(☆))

P.S.
 カナダ出身の主演女優、サラ・ポーリーは、ちょっと面白い経歴で、
芯の強い人であることを今回、公式サイトの関連リンクで知りました。
興味があればこちらを。


参照映画:「死ぬまでにしたい10のこと」 イザベル・コイシェ監督 2003年
    イザベル・コイシェ監督(前はコヘットと表記されてましたが…)の前作。
  英題は「My life without me」。 
  死期を知ったことで、やりたいことをリストにし、一つずつ実行していく女性の話です。
   気になったのは、彼女の作ったリストに自分のしたいことや、
  子供への思いはありますが、
  見事なまでに、夫に対する気遣いが無いことでした。
  気遣うどころか、浮気してみたいなんてリストアップしているのです。
   。。。あな、怖ろしい。
  本音のところ、女性にとって旦那の存在ってそんなものなんでしょうか。
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by am-bivalence | 2007-03-03 22:49 | 人間ドラマ | Comments(8)
 原作のイメージに忠実に造られた、映画の新しい指標  公式サイト

スターウォーズ旧3部作の完結編「ジェダイの復讐」が公開されたのは1983年でした。
タイトル「ジェダイの復讐」を巡るゴタゴタについては、公開前話題になりました。
タイトルが「Revenge of the Jedi」から「Return of the Jedi」に変わったとき、
ルーカスも『指輪物語』の影響を受けていたことが判って、興味深く思ったものでした。
 そう言えば、冒険によってルークは右手を、フロドは指を失います。
かれらが冒険により、もう元には戻れなくなったということの象徴でしょうか。

 原作「指輪物語」の読後感は"過ぎ去ったものへの哀悼"でした。
フロドたちの活躍は最終的には過去の伝承として語られ、
アラゴルンたちのその後も歴史として追補に記述されています。
トールキンは神話などの文献研究から、消えて今は無いものに思いを馳せていたのでしょう。
あるいは、大戦で犠牲になった人々を思ったのかもしれません。
 どんなに偉大な功績も、事を成し終えて歴史となると現在から離れていき、
人の記憶の隅に追いやられていくものなのです。
人は今を生きているのですから。
 映画も、サウロンを倒し ただ大団円で終わるのではなく、
冒険によって元の生活に戻れなくなったフロドが中つ国を去るまでを
哀感を込めて描いています。
 あくまで原作のイメージを大切にした作り方で、
エモーショナルな面では三部作中一番です。
(エオウィンが山瀬まみだったのが、残念なんですが。)

 スペシャル・エクステンデッド・エディションは4時間をゆうに超えていて、
三部作中唯一、休憩の入るものでした。
追加されたシーンは、サルマンの最後、死者の道から帰還し船に乗り込むアラゴルンたち、
ガンダルフとナズグルの対決、エオウィンの治療とファラミアとのシーン、
黒門での交渉、オーク部隊に巻き込まれるフロド達、といったところです。
これと比べると劇場公開版は、映画のキーとなるシーンが少なからずカットされており、
劇場公開用に時間を短縮するのにかなり苦労したのが見て取れます。

 今回三部作を見直してみて、初見の印象以上に
良く出来た映画だったことを再認識しました。
今後も、「ロード・オブ・ザ・リングよりも」とか、「ロード・オブ・ザ・リングみたいな」と
表現される、指標映画であり続けるのではないでしょうか。
                               (☆☆☆☆)
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by am-bivalence | 2007-02-25 22:04 | ファンタジー | Comments(0)

intermission3 正しい資質


 仕事で煮詰まったり、孤立感に悩まされると、
私は一時期、お酒を飲みながら「ライトスタッフ」の
クライマックスを見返していました。

「ライトスタッフ」はアメリカ最初の7人の宇宙飛行士と、
トップテストパイロットだったチャック・イェーガーの物語です。

 アメリカ初の宇宙飛行士は、大統領の一言で
テストパイロットから人選することになります。
しかしこの時チャック・イェーガーは
トップパイロットでありながらテストもされませんでした。
彼が選抜条件である大学卒でなかったからです。

 宇宙飛行士となり世界中の注目を浴びる7人と対照的に、
チャック・イェーガーは宇宙開発とは無縁に過ごします。

 映画の終盤、ヒューストンで大歓迎を受ける宇宙飛行士達とオーバーラップして、
イェーガーは独り、航空機での高度記録に挑みます。
新記録高度の手前で不調になるエンジンを動かそうとしながら、
イェーガーが目指す空の先に見たものは。。。
星空、でした。
彼が目指したものも結局、宇宙だったのでした。
それを悟ったときの虚脱感。
 映画では2カットしか出てこない星空ですが、
映画ならではの映像表現でした。

 この直後、機は失速、墜落します。
その経過は原作に詳しく記述されています。
墜落していく機体を立て直そうとあらゆる手段を尽くすイェーガーと、
彼の陥ったジレンマの詳細は、文章でしか語れない面白さがあります。
 ちなみに映画では、イェーガーの独断で飛行したように演出していますが、
実際は正規に計画されたテストプログラムでした。
 この辺り、映画の意図が判ります。

 映画は、7人の最後ゴードン・クーパーが
宇宙に飛び立つところで終わります。
この飛行でクーパーは、新宇宙飛行記録を樹立しますが、
それも一時の栄光だったとナレーションが伝えます。
 誇り高く、気骨ある男たちを描いた映画は、
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲そっくりのテーマ曲で
勇気をくれたのでした。


 参照文献:「ザ・ライト・スタッフ 七人の宇宙飛行士」 トム・ウルフ 中公文庫
   ノンフィクション作家のトム・ウルフは自分で新しい概念を造るのが好きだそうで、
  「ライト・スタッフ」は彼が考え出した造語です。
   「ライト・スタッフ」とは、ウルフがテストパイロットに共通して見い出した資質、
  瞬時に的確な判断を下す能力、適性を指すようですが、
  明確に定義されているわけではありません。
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by am-bivalence | 2007-02-01 23:07 | 人間ドラマ | Comments(0)